異呆人

ノンフェータルなペシミズム

あなたもわたしもだれかのだれか

妻の従兄弟の結婚式で、小旅行をしてきた。

0歳児を連れて、飛行機に乗っての旅行というのもなかなか大変ではあるが、加えて義父と義理の祖父も同じ旅程で行くことになり、道中の交通や宿の手配を私が行なったので、それはそれはなかなかの手間となった。

手間と言っては言い方が悪いか。

手間賃のように多めに旅費を受け取っているし、文句を言う筋合いはない。

それに確かに私は出張だなんだで旅慣れているし、今回の目的地の土地勘もあった。

セッティングして案内するくらい訳無いと言えば、その通りでもある。

 

さておき、どういうわけかは知らないが、私は義理の親族にえらく信用されているらしい。

何かにつけ「しっかりしている」と言われてはアテにされる。

義理の親族だけでなく、義妹の夫とか、もうそれほとんど他人じゃないかなと思う人にまで、「お義兄さんの意見が聞きたいので、今度食事でも」と言われたりする。

ありがたい話と言えば、そうかもしれない。

それだけ、妻の「夫」という役割というか立場というかを、上手に演じられているということもあろうか。

私にとっては、「夫」であることは楽である。

理想とされるあり様があり、ただそれに合わせて振る舞っていればいいのだから。

そういう気楽さを結婚に求めたということも一部あるし。


私は妻を愛している。

優先順位として、誰よりも愛している。

それは彼女が彼女だからではなく、彼女が私の「妻」だからである。

もし、他の女性が私の妻だったら、私はその女性を誰よりも愛するだろう。

それが関係性というものである。

もちろん、私は彼女が彼女だから「妻」という一番愛するべきポジションを提案したし、それをして間接的に「彼女が彼女だから愛している」とも言えるのだが、そこの差というのは些細だが大きいと思っている。

なぜなら私が関係性に基づいて行動する以上、妻がどれだけ豹変しようと、どれだけ妻より魅力的な女性が現れようと、私は妻を最優先にするということになるからである。


本当の意味で、私たちは誰かが誰かであるゆえに愛するなどということはできないと思っている。

だから「なぜ好きか」という理由を求めたがる。

それは逆にいえば、同じ条件を持つ相手なら誰でもいいと言っているのと同じである。

もちろん実際には、そうやって挙げられる2,3の要素だけで相手を愛しているわけではないのだが、そうやって条件を挙げてしまえること自体がその人のスタンスを象徴している。

人は人生において、限られた選択肢の中で判断せざるを得ない。

人生の伴侶を決めるときも、所詮はその時の手持ちの選択肢の中で最善を選んでいるに過ぎない。

だから、その後により良い選択肢に巡り合うことなんてザラにあるだろう。

しかしそうやって巡り合う相手も、所詮は「その時の最善」に過ぎないのである

「その時の最善」を選び直すこと自体が悪いわけではないが、それはさらにその後により良い選択肢が現れる可能性を自ら認めるようなものである。

キリがないし、その時の最善を自認した相手にも不誠実ではある。

だから私は関係性に基づいて妻を愛しているし、その関係性を良いものとして維持するためにできる限りの努力をする。


そこまで極端に考える人は少ないにしろ、人は皆、誰かとの関係性に基づいているというか、縛られていると思う。

親子であったり、夫婦であったり、友人であったり。

そういった関係性の中に身を置くことで安心しようとする。

誰かの特別であろうとする。

あるいは自分の境遇を誰かのせいにしようとする。

それは自然なことであり、楽なことでもあるのだが、強くしなやかに生きるには、そこから一歩進んで「誰かの誰かでない自分」というものを身につける必要があると思う。

自分の責任において自分の人生を引き受けるということは、思うほど楽なことではない。

だが、それが身についている人というのは、人として芯が通っている。

誰かとの関係性においても簡単にブレない。

そういう人間になりたいなと思う。


関係性という意味では、人との関係というのは合わせ鏡のような側面があるなと思う。

例外がないわけではないが、こちらが関係性を良好に保つ努力をし、それが相手に伝わっていれば、相手もそれなりに応えてくれるものである。

相手が応えてくれない場合というのは、概ね一方の努力が適切に伝わっていない。

世の中、好かない相手とも付き合わざるを得ない場面は多々あるが、自分から「苦手」の意思を表さなければ、「あなたと良好な関係でいたい」という意思表示が伝わっていれば、そうそう邪険にはされない。

邪険にされても、こちらが丁寧に返していると相手の対応が変わることも多い(本質は変わらないが)。

忍耐である。

面倒だが、避けて通れないこともある。


あと、類は友を呼ぶ。

私の周りは一風変わった人間が多いが、それは他ならぬ私自身が変わり者だからだと思っている。

人間関係に恵まれないと嘆く場合、環境を変えるのも手ではあるが、意外と自分のあり様を見直すことが有効だったりする。

まぁ、簡単に見直せるものでもないが。

そういう意味で、奇譚ない意見を言ってくれる友人というのはありがたい存在である。

自分のことは自分が一番よくわかっているのは当然だが、灯台下暗しよろしく死角はある。

自戒を込めて省みたいものである。