異呆人

ノンフェータルなペシミズム

ニンテンドースイッチが楽しい

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正月の3日にニンテンドースイッチを買った。

ブログの更新頻度が落ちる理由の1割くらいは、このゲームのせいもあるかもしれない。

欲しいなぁとは思いながら、品薄が続いていたので無理に探そうとはしなかった。

さほどプレイする時間がたくさん取れるわけではないし、もしかしたらすぐに飽きてしまうかもしれないし、そんなに安いものでもない。

妻も少しはゲームをするので、スイッチを購入することには前向きだった。

機会があれば買おうと思っていたら、どうもクリスマス商戦あたりで在庫が積み上がったらしく、近くの電器店で普通に売っていた。

こういうものはタイミングである。

妻が少しでも欲しいと思っているうちに買ってしまわないと、私がやりたいだけでは買えなくなる。

 

で、休みの日、時間があれば遊んでいる。

ソフトはスプラトゥーン2とマリオオデッセイを買った。

スプラトゥーンは私がやりたかったソフトで、マリオは妻が選んだ。

しかしながら蓋を開けて見れば妻はアクションゲームがあまり得意でなく、概ね私が1人で遊んでいる。

まあ、マリオオデッセイはサポート感覚で2人プレイが可能だし、スプラトゥーンも下手でも楽しめるゲームなので、妻も少しは遊んでいる。

買ったこと自体は、それほど不満に思っているわけではないようだ。

 

ニンテンドースイッチをまず開封して驚いたことは、そのハードの小ささである。

iPadよりも小さい。

携帯ゲーム機としても使えるようになっているためだが、家庭用ゲーム機を初代ファミコンから入った私としては、なんとも隔世の感がある。

そしてそのiPadみたいな画面の両端に、着脱可能なコントローラが付いている。

携帯用ゲーム機として遊ぶ場合は、そのままPSPのような感覚で使うらしい。

据え置いて遊ぶ場合は、据え置き型のケースに画面を差し込めば、その画面がTVに映るような仕組みである。

その時は両端のコントローラを外して遊ぶ。

それぞれを片手ずつに握って遊ぶゲームもあれば、昔の家庭用ゲーム機のコントローラ型のケースに差し込めば、普通のコントローラとしても使える。

なんかもうそのギミックそのものがカッコいい。

大人なのに子供心をくすぐられる。

あと、コントローラが上下左右を認識し、向けた方を画面内のキャラクタが向くようになっている。

昔、ゲームの苦手な子がボタンを押すだけでなく、コントローラをしっちゃかめっちゃかに振り回して、画面内のキャラクタになったかのようにプレイしているのを見て笑っていたが、今はそれが実現する時代なのである。

 

私は主にスプラトゥーンで遊んでいる。

これがとても楽しい。

前作の評価を聞いて一度やってみたいと思っていたのだが、噂に違わぬ面白さである。

何がいいって、弱くても楽しめるのがいい。

私のアクションゲームの腕前は、人並みに毛が生えた程度である。

たぶん世間一般の人よりは上手だが、本当に上手い人にはけちょんけちょんにされる。

妻のアクションゲームの腕前は、絶望的なレベルである。

上述のコントローラを無茶苦茶に振り回すタイプだ。

しかし私はもちろん、妻のようなレベルの人間でもある程度楽しめるようになっている。

そこがよくできているなと思う。

 

たくさんの人が言及していることなので今更私が言うまでもないのだが、チーム戦であることがいい。

上手い人も下手な人も、ごっちゃになってプレイする。

だから自分が下手でも勝てたりする。

そのおかげで、ゲームを進める上でのフラストレーションが溜まりにくい。

それから、勝敗が決まるのが陣取り合戦であるところがいい。

いわゆる鉄砲で撃ち合うゲームなのだが、敵を倒すことが目的ではない。

鉄砲から放たれるインクでステージを塗りつぶしていくことが目的なのである。

下手なら無理に相手に立ち向かわず、できるだけ敵と相対しないように気をつけながら、地面や壁をペタペタと塗っていればいい。

よくできたシステムだなと感心する。

 

久しぶりにスマホゲームでない家庭用ゲーム機をプレイしてみて、なんだかとても懐かしい心持ちになった。

ファミコン世代の私にとって、一番の娯楽はゲームだった。

小学生の頃から高校生、大学生になっても、それは私にとって一番の娯楽であり続けた。

小さい頃は1日のプレイ時間を親に制限されたり、その約束を破ってゲーム機を隠されたり、その隠し場所に気づいて親がいない間に引っ張り出して遊んだりした。

今はそもそも、がっつりTVの前に座って家庭用ゲーム機に熱中するだけの時間がない。

妻の前でゲームばかりしているわけにもいかないので自主規制もする。

それくらいの分別はある。

大人になった。

でも、それをやっているとき、子供時分に戻ったような気持ちになる。

損得とか効率とかそっちのけで、ただ純粋に「面白い」を求めている気持ちに気づかされる。

 

人間は所詮、動物である。

乱暴な言い方をすれば、飯食って排泄して生殖行為をして寝るだけなら、動物と変わらない。

動物だって「遊び」もするのだが、人間ほど貪欲に娯楽を求めないだろう。

ある意味、人間らしさというのは「遊び」(つまりはそれをできるだけには生きることに余裕があること)にあるのかもしれない。

であるなら、休日に日がな一日TVの前に座ってゲームをしていることは、実に人間らしいと言えるかもしれない。

そんな言い訳を自分にしながら、私はTVに向かってコントローラを握りしめている。

白熱してくると、手汗をかく。

今日は妻が外出で1日中いない。

誰に咎められることもない。

いや、大人になった私を咎めてくれる人は、そもそもなかなかいないのかもしれないが。