異呆人

ノンフェータルなペシミズム

手に入れなければ失わない

ストイックだと言われる。

確かに楽な道を選ばないことは多い。

楽をしたくないわけではない。

ただそんな楽な状態が長く続くわけがないという感覚がある。

だったら一時的に楽な状態を経験してから、そこから厳しい状態に落ちるような感覚は味わいたくないと思う。

突き落とされるくらいなら、最初から谷底を歩いている方がいい。

だから物凄くハードな道を選ぶわけではなくても、楽な道を選ぶことは少ない。

 

私のすべての価値観は「無」に基づいている。

すべての存在は、いずれその存在を失う、と思っている。

人生というのは、0から始まっていずれ0に帰る、長くて短い旅である。

その途中がどんなものであれ、結果だけ見ればまったく変わらない。

意味はないし、価値もない。

それはひとときの夢のようなものであり、辛い夢よりは楽しい夢の方がいいとは思うが、醒めてしまえばすべて形を失うものである。

 

だから生きている間に手にするものは、すべていずれ失うものだと思っている。

金も家族も友人も趣味も偉業も何もかも、形のあるものから形のないものまで、すべていずれ自分から離れていく。

遅いか早いかの違いである。

失うときには少なからぬ痛みを伴う。

それが自分の身体と繋がるような近しいものであればあるほど、引き剥がすときの痛みは大きい。

そんな痛みを味わうくらいなら、初めから手にしなければいいと思う。

なくて困るものなどない。

あまりたくさんのものを自分に近づけ過ぎないようにしたい。

もちろん、生きているうちは、あればあるほど楽だったり楽しかったりするのだろう。

 

生きているのが楽だったり楽しかったりすると、死ぬのが怖くなるかもしれない。

私はそんなことばかり若いときに考えていたから、楽しい人生を送ろうとも思わなかった。

今でもそんなことは思っていない。

だから死ぬことが怖くない。

私の人生そのものが、あってもなくてもいいようなものである。

それに、死ぬということは無に帰るということ。

あるべきものが、あるべき場所に戻るようなものである。

喜ぶべきことでこそあれ、忌むべきことではないと思う。

 

まぁ理屈をどうつけても、それは単に失うことが怖いだけなのかもしれないなと思うときがある。

いつかなくなることを知っているから、なくなるときが来るのが怖い。

それが常に頭の片隅にあるから、本当に欲しいものがあっても本気で手を伸ばせないのかもしれない。

それはそれで一つの人生の形だろう。

少なくとも、私はそんな自分の人生に肯定的である。

肯定的でなければ、とっくに生き方を改めていただろうな。

失敗作の完成形。