先日、壇蜜をキャスティングした宮城県のPR動画が終了を迎えた。
いろいろ批判を受けて物議を醸した奴である。
「不快に思う人がいるなら〜」と終了の理由を県知事は述べていたようだ。
まぁあれは一応「涼・宮城(りょうぐうじょう)」と題して涼しい宮城をPRしたものだったから、残暑に入って役目を果たしたというのもあったかもしれない。
話題になっているのですでに見ていた。
物議を醸すだけのことはある内容だった。
「女性を性的な対象として〜」と批判した政治家かなんだかは言っていたようだが、個人的に見た感想としては、単に「下品」なだけだなと思った。
これについては記事を一本書こうかと思ったくらいである。
その下品さは随所に発揮されていたのだが、一番アウトだと思ったのは、竜宮城に向かうときに乗る亀の頭を壇蜜が撫でると、照れて赤くなって頭が大きくなるというエフェクトをつけているところだった。
発想がオヤジだなと思った。
いや、こんな言い方をするとオヤジに失礼かもしれない。
酒場で酔った勢いでする話としては面白いかもしれないが、さすがに県のPR動画としてはナイ。
さすがにあの宮城県の動画はやり過ぎというか、やり方が悪いと思うのだが、最近はこういった「エロ」を指摘されてお蔵入りするものが増えている気がする。
なんと言うか、世の中が「エロい」ものに対して不寛容になっているなと思う。
先の宮城県のPR動画に対する批判をあげつらうわけではないが、「女性を性的な対象として扱っている」ことを理由に批判される意味がわからない。
いやいや、女性は男性にとって間違いなく性的な対象である。
そういう目でしか見れない男もいるほどである。
そうでないと、生物は生き残れないのだから。
「そんな批判をかますあなたも、お父さんとお母さんがセックスして生まれてきたんですよ」と言ってあげたい。
男の目を引くのだから、その習性を利用してPRを図るというのは理には適っている。
嫌なら見なければいいだけの話である。
男性向けのグラビアやAVやビニ本を、わざわざ眺めて批判する女性はいないだろう。
批判したいなら、宮城に行かなければいいし、その企業の商品を買わなければいい。
本当に大勢が的を射た批判だと思うなら、不買運動につながって企業は相当困るはずである。
ただ、何でもかんでもエロければいいとは思わない。
ドンと股を開いて見せられても興醒めである。
エロスには品が必要だと思う。
何をもって品とするかは難しいところだが、個人的には慎ましさをもって品としたい。
恥じらいと言ってもいいし、チラリズムと言っても、当たらずも遠からずである。
これは以前にも書いたことがある。
露骨ではいけない。
秘されていて、想像力が働くからこそいいのである。
亀の頭が大きくなるエフェクトには、恥じらいも慎ましさもカケラもない。
関係者諸氏はもう一度少年の心を取り戻して欲しい。
逆に、匂い立つような品のあるエロは、もっと社会に許容されて然るべきである。
あまりに忌避的に遠ざけ過ぎるから、反動としての過激なエロを生じさせるのである。
正しいエロさというと間違った表現になるが、社会一般が受け入れる範囲を広げることで、間違った形での欲求の暴発を防ぐことになるのではないかと思う。
それは学校教育における性教育にも言えると思うのだが、正しいことを教える機会を設けないから、間違った知識が定着するのである。
正しいことも間違ったことも含めて一律にエロはダメとしているから、間違ったものを見ても間違っていると気付けなくなるのである。
どうせなら学校でセックスを教えればいいと思うくらいである。
サントリーの「頂」の動画は、それほど悪いものではなかったと思う。
いいじゃないか、ちょっとエロいくらい。
あんな動画ではどうせオカズにもならないんだし、男が心の中で「いいね!」と思う程度である。
まして、それがきっかけで性犯罪に走るなんてことはないだろう。
繰り返しになるが、不快なら見なければいいだけの話である。
そんなことを言えば、くだらないテレビドラマとかワイドショーは、私にとっては至極不快である。
だったらチャンネルを合わせなければいいだけだ。
ましてネットの動画なんて、好んで見ない限りは目に入らないはずである。
社会のアレルギー反応だと言える。