異呆人

ノンフェータルなペシミズム

誰かを攻撃することでしか自分の居場所を作れない人たち

京都アニメーションへの放火で30名以上の人が亡くなった。

アメリカあたりで銃乱射事件があってもここまで被害者が出ることはそうない。

そういう意味では銃なんかなくても人は人を簡単に殺せるし、殺意を持っている人に対してそうでない人というのはつくづく無力だなと思う。

毎回そんなことを書いているが。

たぶんこういう事件が起こることは防ぎようがないのだろう。

社会と折り合いがつかず、まったくの他人から見れば自分勝手な都合で不満を溜め込む人は山ほどいる。

それは人が社会を形成して生きていく上で避けようがないことである。

人が集まれば社会ができるし、むしろ社会のない中で生きていくことは、バトルロワイヤルさながらの殺伐とした状況で他人と接しないといけないわけで、ドライな言い方をすればこういった事件は他のより悲惨な末路を避けた、まだマシな結果だとも言える。

それは「人を殺してもいい」ということではなく、起こってしまったことに対して出来ることは何もないと言いたいだけである。

求められるのは、直接の関係者がこの理不尽な死をどう受け入れるかというだけなのである。

たぶんこれから加害者の人間関係や生い立ちや社会的状況が具に調べられて、わけ知り顔のコメンテーターみたいな人たちが好き放題語るのだろうが、それが耳に入ってくることを想像するだけでげんなりする。

むしろそうやって興味本位で事件をエンターテイメント化してしまうことの方が、被害者や事件そのものに対する冒涜ではないだろうか。


先にアメリカでの銃乱射事件などを挙げたが、ああいう場合は加害者がその場で銃撃戦の末に射殺されることも多い。

これは被害の拡大を防ぐ意味では一定の効果があるだろうし、もしかしたら被害者の関係者の感情が落ち着く前に加害者を消し去ってしまうことで、無用な憎悪を募らせないという効果もあるかもしれない。

もちろん法治国家において犯罪は法によって裁かれるべきであり、超法規的に殺してお終いにすることは、どこぞのマフィアだかギャングだかがやっていることと変わらない。

あくまで結果論ではあるのだが、そういうことが言えそうな気がする。

例えば、数ヶ月前にバスを待っている小学生とその保護者が襲われた事件では、加害者は自殺してしまった。

あの事件はほどなくして耳にすることもなくなっている。

対して、池袋で車を暴走させた事件では、被害者の親族が加害者への厳罰を求める署名を集めているという報道を目にした。

そんなことをしても何もならないだろうに。

自己満足にすぎない。

自分の感情が処理できないことを他人のせいにしているだけである。

加害者は法によって裁かれ罰を受ける。

その罰を軽いと感じるか重いと感じるかは個人の感覚の問題で、むしろ個人の感覚に左右されすぎないように司法というのは出来上がっている。

亡くなった人がどう思うかなど知りようがない。

刑が執行されたり、判決が確定したりして、被害者の親族が「これで被害者もうかばれる」みたいに言うことがあるが、それは勘違いも甚だしいだろう。

罰を求めるのは生きている人間である。

生きている人間が自分たちのためにすることである。


何かうまくいかないこと、受け入れられないことがあるとき、人はそれを他人のせいにしがちである。

悪者がいると都合がいい。

不満の捌け口になる。

大なり小なり、私たちはそうやって誰かを虐げている可能性がある。

ネット右翼などもそうかもしれない。

日本の対韓感情は現在、史上稀に見るほど悪いと言えるだろう。

これは韓国の徴用工問題に対する対応にマズさがあるわけだが、韓国のそういった対応は結局自分たちの社会・経済が上手くいっていない捌け口を日本に向けさせているだけである。

それに対して日本も同じような対応で返すなら、同じ穴のムジナと言われても仕方ない。

経済的な枷をはめるような真似をすることは、そういうことである。

子供の喧嘩ではないのだから、不当な措置に不当な措置で返してどうする。

感情的にならずに冷静に対応をすべきだろう。

ただ相手を悪し様に罵るだけでは物事は解決しないのである。

やっていることが悪いなら、それを正させるようなプロセスを踏むしかない。

こういう対韓、対中で相手国への悪意を剥き出しにする人間というのは、結局は自分の普段の生活の憤懣をぶつけているだけにすぎない。

理があるわけではなく、自分勝手なだけである。

理があるなら相手を攻撃せずとも、きちんとした対処をすれば済むだけの話なのである。


参院選が終わったが、選挙なども見ていると気が滅入る。

政党や政治家が未来を描けない。

相手を攻撃することしかできていない。

もしくは相手より自分の方がマシだという主張しかできていない。

消去法的な選択でしか投票先を選べない。

挙句の果てにはいわゆる「N国党」みたいなわけのわからんのが台頭する始末である。

私は政党要件を満たしてしまったあの集団の主張がどれだけ正しくても、そのネーミングセンスだけで品性を疑う。

それこそ何かを攻撃することでしか自分の立ち位置を作れない人間の最たるものではないか。

そしてそんな輩に票を投じる人間が一定数いることが、社会そのものに対する諦念を生じさせてしまう。

まぁこれは日本に限ったことではないのだが。


私自身は憲法改正には賛成だし、自衛隊違憲状態だというならそれは解消すべきだと思うし、何なら戦力自体は保持していたらいいと思うのだが、そういう主張をする安倍首相の支持層というのがどうにも好きになれない。

戦力というのは積極的に戦わないために持つものなのだが、憲法改正を求める層というのは昨今のように対相手国への感情が悪化したら「やっちまえ!」とでも言いそうな人たちに思えて仕方ない。

いざという時に本当に冷静でいられるだろうか。

客観的な判断を下せるだろうか。

熱に浮かれたような世論が出て来はしまいか。

そう思うと、やはり慎重すぎるくらい慎重に議論を重ねて欲しいなと思うのである。

仮に間違った方向に進みそうになっていたとして、とても自分なんかには止められそうにないと思うから。