異呆人

ノンフェータルなペシミズム

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今週のお題「2019年上半期」


1年という区切りを年始から年末までではなく、年度始めの4月から3月までで考えてしまうのはサラリーマンの悲しい性か。

だから6月が終わった段階で「上半期終了」と言われてもピンと来ない。

そもそも半年経ったという感覚がない。

これはもうここ数年ずっとそうなのだが、時間があっという間に過ぎたという感覚と、ものすごく長い時間を過ごしたという感覚が併存している。

中身の濃い時間を過ごしているのかもしれないし、時間の感覚が狂っているだけかもしれない。

以前にも書いたが、そのせいで自分の年齢まで覚束なくなる始末である。

始末に負えない。


さておき、くだらない話からくだらない話へ繋ぐと、今年の初めには「ギターが趣味ですと言えるようになる」という目標を掲げていた。

ギターの経験などまったくないのに同僚にバンドメンバーに誘われ、なし崩し的に参加することになったものである。

楽しいんだけども、弾けなすぎて申し訳なさすぎる。

まぁそれでも、子育てと並行しながら自分なりに練習はしていた。

しかしコンスタントに開催されていたこの集まりが、4月半ばにメンバーの都合がつかなくなって土壇場で取り止めとなった。

そしてそこから休止になってしまっている。

理由は単純で仕事が忙しいから。

なんせメンバー5人のうち3人は私と同じ会社の人間である。

仕事が忙しいということは3人とも忙しいということである。

他のメンバーも転職したりなんだりで、やはり忙しい。

勤め人というのは難儀なもので、何かの拍子に歯車が狂って止まってしまうと、お互いの都合が合わずなかなか再出発できない。

多趣味なメンバーにとっての片手間の趣味だから、強い動機がないため尚更である。

私も練習したいが仕事や家庭で時間が取りづらいし、ついつい放置してしまっている。

そんなこんなで2ヶ月ほど過ぎてしまった。

急がず焦らずタイミングを待つ他ないか。


ランニングもまったくしていないし、ゲームも通勤時間がプレイ時間で、個人的には十分やれているとは思っていない。

趣味らしい趣味にほとんど手をつけられていない。

では何をしているかというと、仕事と子供の世話をしているだけである。

それが別に嫌だというわけではない。

やり甲斐はあるし、何%かは楽しみも混ざっている。

実際、私は現状に対して自分でも驚くほどなんの感慨も抱いていない。

嫌だとも思わないし、すごく楽しいとも満足しているとも思わない。

やるべきことをやっていて、それだけで持てる時間を使い切ってしまっている現状に、仕方がないと思っているし、仕方がないことにフラストレーションやストレスは感じていない。

もしストレスやフラストレーションがあるとしたら、それはもっと根深い私という人間の存在そのものに関わるもので、つまりは現状が現状でなかったとしても恐らく抱いていたであろうものである。

ではどうなりたかったかという代替の選択肢を思いつかない。

つまり自分で望んだ未来に辿り着いて、予定調和を眺めている。

「そんなもの、何が面白いのか」と叫んで卓袱台を叩けるほど若くはないし、気概もない。


きっと今年の残り半年も同じように過ぎていくと思う。

やるべきことをやっていたら、もう何もする余裕がなくなりそうである。

これを雌伏のときとして、どこかで立ち上がろうというつもりはない。

若かった頃になりたくなかったタイプの大人だが、望んでなったのである。

それでも自分以外の誰かを幸せにできるのであれば、それはそれで意味のあることだと思っている。

誰かのために何かをする最も効率の良い方法だったというだけである。

結婚して家庭を大切にし、社会の歯車となって仕事をする。

私程度の人間には、そのくらいのことができたら十分である。

どうせやりたいことなどないのだから、そうやって命を燃やし尽くせばいい。

それもまた一つの形だろう。