異呆人

ノンフェータルなペシミズム

人間の成れの果て

最近よく付き合いをしている同僚がいる。
ちょくちょくブログで書いているが、彼の奥様を含めてご夫婦と交流している。
彼らは世間一般的にはマイノリティの価値観で生きているのだが、それを貫いて幸せそうに生活をしているように見えるのがとても小気味良い。
その価値観が何に由来するものなのか突っ込んで聞いたことはないが、何にせよやはり自分の考え方をしっかり持っておくことが肝要なのだと改めて思わされるのである。

そのご夫婦は歳が10ほど離れているのだが、物事の決定権は奥様が握っている。
旦那さんがそれを優しく許容する感じ。
奥様は若いのだがしっかりしていて、自分がこうと思ったら譲らないタイプの人である。
彼らは結婚にあたり式を挙げていないし、結婚指輪も買っていない。
それらはすべて奥様の意向だそうである。
その代わりと言ってはなんだが、かなり早いタイミングでマンションを買っている。
中古だが立地が良く、将来的にも値下がりしないことを考慮して選んだらしい。
子供はいない。
これもあまり突っ込んで聞いてはいないが、たぶん欲しいと思っていないようである。
まぁその分、2人でいろいろアクティブに遊んでいるようなので、それはそれで結構だと思う。

私の周りでは少数派だが、世の中には彼らのように子供を持たない選択をする夫婦も増えてきているそうである。
特に夫婦共働きで子無しの世帯はDINKsなどと呼ばれ、購買余力の大きさからマーケティングのターゲットとされることもある。
そういう話題になると、やれ少子化に拍車がかかるだなどと言う人もいたりするわけだが、個人的には結構なことではないかと思う。
もちろん少子化は問題(というか少子高齢化による人口ピラミッドのバランス崩壊が問題)だが、それは個人のレベルでは知ったことではない話だろう。
人は自分の人生を自由に生きることができる。
環境による制約を受けはするが、結果を引き受けるならその範囲において何を選んでもいいのである。
例えばLGBTなども同じだろう。
他人がとやかく言うことではない。

もちろん生物としての本懐は子種を残すことにあるわけだから、子をなさない選択は自らの生物としての機能の否定でもある。
でもたくさん存在する個体のうち、そういう選択をする個体があってもいいし、そもそも子種を残さない個体の遺伝子は残らないわけだから、人類という種全体から見れば何の問題もない。
イレギュラーは自然淘汰される。
イレギュラーである、つまり他と違うことは恥じることではないし、違うなら違うなりの選択を重ねていけばいいだけである。
自分という存在の形を確かめるために他人と比べることは悪いことではないが、そうすることでわかることは結局「違う」という事実でしかない。
その事実に対して価値判断をするのは、その人の人生においてはその人自身でしかあり得ないのだし、他人からとやかく言われることを必要以上に気にすることはない。

そもそも結婚も子育ても人生の一大イベントにはなるだろうが、所詮一つのイベントでしかない。
結婚や子育てが人生に必ず幸せをもたらしてくれる訳ではないし、人生の目標にはなり得ない。
自分がどんな人生を歩んでいきたいかというポリシーというかスタンスというか、そういうものがあって、それと照らし合わせたときにその道のりに結婚や子育てがプロットされることがあるというだけだろう。
人間は動物だから本能的に生殖行為を求めるし、生殖行為を行うことは人間社会においては結婚や子育てという過程をたどることに繋がる。
しかし逆に言えば、そういう本能と相反するようなことを考えられるのは、人間の能力が他の動物より高度であることの証左でもある。
つまり、人間は人間であるがゆえに、他の動物と違うがゆえに、生殖行為あるいはそれに伴う結婚や子育てを抜きに自分の人生を考えることができるのである。
結婚しない選択、子を持たない選択はある意味ではとても「人間らしい」選択だと言えるのではないだろうか。
また、その「人間らしい選択」をする人が増えるということは、人間の能力や人間社会が高度になるに伴い生物としての有り様から遠ざかるという矛盾のようなものを孕む。
仮に人類全体が少子化になってその規模を縮小することになるなら、それによって守られる地球環境もあるだろう。
それはマクロで捉えれば人類の自衛機能や自然の自浄作用と言えるかもしれない。
生物としての機能に制限をかけることで、逆に種の存続を図れるのだとすると、そしてそれは個体の意思に関わらずマクロレベルで実行される本能的プログラムだとすると非常に興味深い。

私自身は結婚することも子を持つことも選んだが、それはそうすることが私というリソースを無駄なく使う最も現実的な方法だと思ったからである。
味もそっけもないが、私にとっていらない命とか時間とか資産とかが、それを必要とする誰かに確実に渡る方法の一つである。
私の至った結論やその過程で生じたものが、別の誰かが解釈することで役に立つものになればいい。
それは私とはまた別の物語であり、だからより良い道筋に至る可能性でもある。
あと、結婚や出産の必要性はないし選択は自由だと思うが、どうひっくり返っても命を生み出す以上にクリエイティブなことは人間には不可能だとも思っている。
そこから学ぶこともまた多いのかなと思うのである。