異呆人

ノンフェータルなペシミズム

マニュアルで通じるなら機械にとって代わられるよね

4月から新しく出向してきた営業担当の役員から「妻のトリセツ」という本を貸し出された。

私が子供が産まれたばかりだということを聞いて、今このタイミングで読んだ方がいい本だという判断をされたそうである。

単なる厚意なのか、何か不安に思われているのか、自身の反省をもとにされているのかわからないが、借りた本を読まずに返すわけにもいかない。

幸い薄い本だったので、遅読の私でも1時間程度で読みきれた。

内容は、脳科学を専門にしている人が著者らしく、なるほどなと思うことも多かった。

「こういうとき女性はどう感じるか」みたいなことを、男性と女性の脳の機能の違いから解説するという趣向の本である。

役に立つこともあるんだろうなと思う反面、個人的には全体的にめんどくさいなと感じた。

 

なんというか、こういうことはお互いにきちんと話し合えば、すべてうまく収まるのではないだろうか。

相手の気分を害しない、間違いのない人なんていないわけで、つまりは気分を害されたのであればそれを伝えればいいし、間違ったのであれば謝ればいいし、そういうコミュニケーションの上に人間関係というのは成り立つわけである。

まして生活を共にする夫婦であるなら、そのコミュニケーションというのは密に図られないと不和になるのは当然ではないだろうか。

仲が良いとか気が合うとか、まぁカップルによっていろいろあるだろうが、基本的には異なる環境で育った別の人間なのである。

なんの齟齬なく過ごせる方が奇跡とも言える。

だからこそ互いの意見や気持ちを伝え、わかろうとすることが大切なのだろう。

もちろん別の人間であるから、完全にわかることはできないし、わかった気になることしかできないのだが、そのわかろうとする姿勢を伝えることもコミュニケーションの一部なわけである。

 

だから「妻の逆鱗に触れないように先回りして、こういうことをしよう。こういうことを言おう」というのも一種の気遣いであるとは言えるし、やらないよりはやった方がいいのかもしれないが、「こうきたら、こう返す」みたいなマニュアルもどきのコミュニケーションというのはなんというかビジネスライクで(著者はビジネスだと考えればいいと書いているが)、少し違和感を感じてしまったりする。

まぁ実際にそういうマニュアル的に使うのではなく、女性の思考回路を理解して自分の発言や行動を慮ろうという趣旨なのだとは思うが。

「トリセツ」というタイトルが「メディアの戦略に乗っかりました!」という感じがアリアリで、耳目は引くが著者の本意とは少し異なって聞こえてしまうのだろうかと思ったりする。

ちなみに私と妻の間では、この本でも取り上げられている女性の「察して欲しい」というのはご法度となっている。

交際して間もない頃に妻から「絶対にして欲しくないことはある?」と聞かれたので、「察して欲しいというのはやめてほしい。言いたいことは言葉にして伝えて」と言って了承を得ている。

もちろん、気づけるようには努力するし配慮もするが、私だって四六時中360度気を張っていられるわけではない。

至らないところや不快に思ったところがあるなら、指摘をされなければ気づかないこともある。

そういうことを遠慮して指摘できないようなら共同生活などできないし、指摘しても対応しないようなら共同生活の相手としては不適だろう。

意見の相違はあろうが、それを擦り合わせようとすることがお互いのためである。

 

さておき、この「トリセツ」的な対応をされ、それがマニュアル通りのものだと気づかなければ、やはりされた相手はそれを「快」だと感じるのだろうか。

人はそういう「快」だと感じるものだけを相手にしていればいいのだろうか。

人間を相手にしていれば自分とは異なる考えとたくさんぶつかるし、ときにはどう考えても理不尽なものや悪意しか感じ取れないようなものとも出逢う。

仮にそういう理不尽や悪意に一切触れずに済む世界があるなら、それはそれは美しい世界なのだろうか。

例えばAIが素晴らしく発達し、当意即妙な会話もでき、自分が不快になるような対応は一切しないのなら、それは妻や夫にとって代われるのだろうか。

ついでに家事や育児もすべて引き受けてくれ、不平不満も一切言わず、それどころか仕事から帰ってくると優しい言葉で労ってくれるのなら、そちらの方が幸せなのだろうか。

SFの世界の話のようだが、そういう世界はわりと遠くないうちに実現しそうな気がする。

ただそういうことが可能になったとき、それでもAIやロボットでなく人を相手にするということを選ぶなら、そこに人間関係の本質というものがありそうな気がする。

逆に言えば私たちは、そこまで極端な状況にならなければ、「人とは何か」ということを理解し得ない、考えようともしないかもしれない。

難しいことから逃げずに向き合うことでしか得られないものもあれば、そういうものと向き合うことで潰れてしまう人もいるし、まぁ人間というのは面倒で厄介なものだよなと思う。

相手を知り、己を知ることが肝要なのだろうが、そんなに適切に生きられる人間ばかりなら世界はもっと平和で楽観的なわけで、もうこのあたりまで考えて私なんぞは匙を投げてしまうのである。