異呆人

ノンフェータルなペシミズム

すべての回り道が無駄だというわけではない

今の会社に勤めて7年目になる。

大学を出てから3社目で、たぶん比較的転職の多い経歴だと思うのだが、今の会社が一番長くなっているし、とりあえず今はすぐに転職しようという気もない。
結婚もしたし、世間的に見たら落ち着いたと言われるのかもしれない。
今の世の中からすれば遅いタイミングではないと思うが、それでも「ようやく」なんて言われることもある。
まぁ確かに不可抗力的に回り道と言われるような道を辿ったというよりは、意図して結果的に回り道と言われるような道を辿ったわけで、「ようやく」なんて言われてしまっても特に抗弁はない。
他人に貶されるような人生ではないが、順風満帆という人生でもないことは確かである。
 
私自身はせっかちな性分もあって、回り道は好きではない。
「最短距離で効率良く」みたいなものに惹かれる。
それでも自分がこれまでに歩んだ回り道自体が無駄だったとは思わない。
むしろ必要であったと思う。
これは「人生に回り道(無駄)なんてないんだよ」という必要以上にポジティブなことを言いたいわけではない。
回り道は確かにあるし、しないに越したことはない。
ただせざるを得なかったなら、それを必要以上に悲観する必要はないと思うのである。
 
最善を選べなかったということは、選ぶ能力(知識・経験・技術)に欠けていた、ということである。
人生における回り道というのは、いわば時間をかけて実地で知識や経験や技術を習得するようなものである。
だから最初から能力のある人なら、人より回り道は少ないだろう。
もちろん、運もある。
選択というのは確率だということでもあるので、2つ道があるとしたら目隠ししてても50%の確率で正解は選べる。
最善を選ぶ能力というのはその確率を上げるためのものである。
 
そういう点では、人生において最善を選ぶ能力というのは、一般的に言われる才能だとかとは関係のない、自分と社会との相対的な位置を正しく見極める能力と言えるのかもしれない。
仕事でも人間関係でもそうだが、自分と相手の姿を正しく知ることが大切なのである。
単純そうで意外と難しい。
私自身、たくさん見誤ってきたなと思う部分がある。
逆に言えば、生きるということは最善を選ぶのが難しい遠回りしがちなものだからこそ、選んできた道から学ぶ姿勢が大事なのだと思う。
たくさん回り道をしたら、そのぶん人間的に成長できるわけではない。
そこから自分にとっての教訓めいたものをしっかり学習しようという姿勢のある人だけが、その先の選択を自分にとってより良いものにできる能力を得ることができるのである。
 
ちなみに、環境的な要因は考慮しない。
環境というのは最初から選択肢を減らしてしまう。
選べない選択肢は選択肢と言わない。
人は与えられた選択肢の中からしか選べない。
そういう意味では、どうしようもない状況というのは存在する。
ただそういう環境を嘆いていても仕方がない。
手元にないカードは切れない。
誰かと比べても、相手が持っているものが手に入るわけではない。
だから適切な選択肢も回り道となる選択肢も人によって異なる。
誰かにとっての最短ルートは、誰かにとっての回り道になり得る。
正解というのはあくまで自分にとっての正解であり、そういうことも世界における自分の立ち位置と言えるのではないかと思う。
 
回り道を生かすも無駄にするもその人次第である。
「生きてきた道のりがすべて自分にとってプラスに働く」ほど世界というのは、人生というのは優しくできていない。
かといって、努力は必ず実を結ぶとは限らないわけで、でも買わない宝くじが当たらないように努力をしないと手に入らないものもあるわけで、もちろん努力できる範囲も努力で手に届く成果も人によってまちまちなわけで。
まぁそういうまかりならんものを丸っと飲み込むだけの度量が求められるのが人生なのだろう。
ハッタリにしろ自信に裏打ちされたものにしろ、「自分のこれまでの人生に回り道(無駄)はない」と言い切ってしまえることも、度量があるという点で一つの才能みたいなものかもしれない。