異呆人

ノンフェータルなペシミズム

眠りに落ちるまで

今日は久しぶりに独りで酒を飲みながらのんびりしている。

とても気分が良い。

惰性に任せてつらつら書きたい気分。

だからあまり推敲しないことにする。

いつもは書いている途中で読み返し、バランスや流れを気にして修正を繰り返したりしている。

それは性分。

性と書いてサガと読むやつ。

でもたまには思ったことを加工せずに、刺身のように提供したっていいだろう。

 

とりあえず今この瞬間感じていることは、私はやはり1人の時間が好きなんだなということ。

これはたまには1人でいたいということではなく、私が本質的に1人でいることに向いているということ。

妻や子供と一緒にいるのが嫌だとか、家族で過ごす状況と比べてどうとか言うわけではない。

単に自分がそういう風に出来上がってしまっているということを再認識させられるというだけの話。

 

先日、同僚の家にギターの練習をしに行った。

バンドメンバーで音を合わせる日は近づいているのだが、仕事は危機的なほど忙しいし、家庭の状況も落ち着かないのでまったく練習できていない。

ただでさえ一番下手なのにこれではどうしようもないと思い同僚に相談したところ、仕事終わりにガッツリ練習できる日を作ろうということになった。

それでお邪魔してきたのである。

ちなみに同僚の奥様もこのバンドのメンバーであり、また会社のメンバーでもたびたび宅飲みでご厄介になっているので、非常に申し訳ないが私にとっては居心地のいい場所になっている。

 

で、同僚宅でギター練習の前に飯を食っていると、奥様から私の現況についてご非難をいただいた。

現況というのは、2時間半かけて通勤している状況を指す。

奥様曰く、「朱天さんの奥さんやお義父さんは朱天さんが嫌がらないのをいいことに、同居という自分の希望を叶えている。それで大変になる朱天さんのことを考えていない。自分勝手だ」とのことである。

なるほど、そういう風に考えたことはなかったが、見方によってはそう言えないことはないかもしれない。

もちろん、妻の里帰りへの同行で一時的に長距離通勤になることも、もしかしたら最終的に同居となってそれがずっと続くかもしれないことも、私の同意のもとではある。

しかしまぁ、私が積極的にそうしたいという訳ではないことはその通りである。

だからそれは私がNoとは言わないことを逆手に取った狡いやり方だ、と言われても仕方ないかもしれない。

 

ただ、私は今の状況が嫌な訳ではない。

もしそうなら、初めからそんな状況に陥らないように手を回す。

私は単に妻の希望を叶えたいだけである。

それが私にとってメリットのないことだったとしても構わないのである。

何がしてあげられるかは考えるが、何をしてもらえるかは考えない。

それが愛情だと思っている。

もしそこにしてあげることとしてもらうことの足し算引き算を持ち込むなら、初めから結婚などしていない。

損得で言うなら損をすることは初めからわかっている。

もちろん理想はそのバランスが取れている方がいいのだが、たぶん相手にそれを求めることは難しい。

それは私が妻と交際するまでずっと1人だった理由の一つだとも思う。

 

ただそういう理屈は筋が通っていても納得されないだろうなと思った。

私は八方丸く収まっていることで良しと考えるが、同僚の奥様はそれより私の健康が害されることを懸念している。

問題にしていることが違うのだから、議論は感情的にしかならない。

私は適当に苦笑いして誤魔化した。

少なくとも今のところはそれで皆幸せなのだし、別に私がしんどいくらいは構わないと思っている。

万一、私にかかる負荷が過重で、倒れるようなことがあったとしても、割り切って言えば私は困らない。

もしそうなったら、それは皆が幸せになるための道程で起こるアクシデントであり、仕方ないものである。

得られる利益とリスクの起こりうる可能性を考えれば、積極的に回避すべき状況ではない、と今は考えている。

まぁでもそういうのはやはり価値観の違いでしかないんだろうなとは思う。

何にもまして健康が大事で、それを損なうリスクがあるなら優先的に回避するというのも一つの考え方である。

まぁ少なくとも、心配してもらっていることはありがたい。

 

閑話休題

私は自分が多分に自己完結した人間だなと思っている。

誰かと何かを共有したいという欲求は比較的少ないし、自分に欠けているものを他者の存在で埋めようとは思わない。

こうやって文章を書いたり、独り言を宙に吐いたりして、それが受け入れられなくてもわりとアウトプットするだけで満足してしまう。

発展性がない。

もっと若いときは、人と繋がっていても繋がらない自分の存在を「終わっている」と感じたものである。

人に影響されず、人への影響を考えないスタンドアローンな感覚は、未だにうまく言葉にできない。

誰かに何か言われることで、なぜそんなに嬉しそうにしたり辛そうにしたりするのか。

なぜそんなに自分の意見が受け入れられるかどうかを気にするのか。

所詮他人は他人、感覚を同じにはできない別の器である。

わかり合えない、わかり合った気になることしかできない。

それがきちんと理解できていれば、他人とのコミュニケーションで右往左往することもないだろう。

まあ今でもそう思っているが、若いときはそんな具合でもっと極端だった。

 

散々「丸くなった」と言われる今でも、通底するものは変わらないのだろう。

今でも他人との関係に期待するものが根本から違っている気がする。

野球をやろうと言う相手にサッカーで応じている感じ。

頑張って野球のルールに合わせようと思っても、そもそも私の持っているものはサッカーボールなのでどうしようもない感じ。

そういえば、今度2年ぶりに復帰した社長からも「この2年で丸くなったな」と言われた。

このペースで年々丸くなっていけば、人並みの「人間」になれるだろうか。

それは良いことなんだろうか。

あぁもう眠くなってきた。

最近、文章を書いてる時間が少ないからどんどんやっつけになる。

はいはい、今日はもうお終い。