異呆人

ノンフェータルなペシミズム

そして父になり、しかしまだ父にはならない

先日、第1子が産まれた。

予定日より2週間ほど早かったのだが、母子ともに健康で何よりだった。

これで出生届を出してしまえば、戸籍上は私は父親ということになるだろうか。

もちろんと言うのもおかしな話だが、私にはまだ父となった実感はない。

出産に立ち会ったので子の出生の瞬間を見ることができ、感動したというか嬉しかったし、産まれた子を見て可愛いとも思うのだが、いわば一つのイベントが過ぎたというような感覚しかまだない。

たぶんこれから一緒に生活する中で、少しずつ父としての実感が湧いてくるのだろう。

よく「子に親にしてもらう」というような言い方がされるが、その通りなのかもしれない。

そういう意味では、私はまだ父であって父でないと言える。

 

陣痛が来たのは定期的な診察の翌日だった。

診察を受ける前に「おしるし」という出血があったらしいので、予定日はまだ先だが産まれるのはわりと近いかもしれないと妻は思っていたらしい。

ただ診察を受けてみると子宮口はまだ開いておらず、「1週間以内かな?」というような医師の話であった。

しかし診察の翌日の買い物で前駆陣痛のような不定期な腹の痛みがあったらしく、その旨が妻から私にLINEで送られてきた。

ちなみに私は今、仕事が忙しく、日中私用の携帯を見ている暇はないし、帰宅も毎日22時前後になっている。

その日は金曜日で「これは土日出社かな…」などと思っていたのだが、もしかしたらそんな状況ではないかもしれないなと、帰宅路にそのメッセージを読んでぼんやり思ったりした。

 

家に帰ってみると妻はベッドにうずくまった状態で、これが陣痛なのかそうでないのかと悶々としていた。

私は妻の痛みを代わりに感じてあげることはできないし、そもそも陣痛がどのような痛みなのかも知らない。

とりあえずまだ陣痛ではなさそうに見えたが、心配だったら病院に相談するように言った。

実際、痛みは間隔が短くなったり長くなったりで一定せず、妻も納得してとりあえず寝ようということになった。

だがどうも徐々に痛みが強くなってきて眠れなくなったらしく、私が寝ている間、夜中の3時ごろに病院に電話してみたらしい。

ただ病院からも「前日の診察で子宮口は開いてなかったし、まだ陣痛ではないと思うので様子を見ましょう」と言われたようだった。

しかしどうにも眠れる状態ではなかったらしく、私も4時くらいからは付き合って一緒に起きていた。

といっても、私には背中をさするくらいのことしかできないが。

 

結局、すっかり明るくなってからも痛みの間隔が伸びたり縮んだりしていたので様子を見ていたが、昼前になって動くのも難儀になるくらい痛くなってきたようだったので、病院にもう一度電話するように言った。

すると病院からは、「一度診察してみましょう。もしかしたら入院になるかもしれないので準備はしてきてください」と言われた。

妻も私も「たぶん診察を受けても、『もうちょっと様子を見ましょう』で帰されるんだろうな」という感じだったので、とりあえず妻だけ登録していたマタニティタクシーで向かわせて、私は家で昼食をとって待機することにした。

ところが診察を受けたら「もう子宮口が7cmまで開いているのですぐ来てください」と病院から連絡があった。

比較的珍しいそうだが、1日程度で急激に子宮口が開いたらしい。

電話を受けると、さすがの私も飛んで行った。

 

病院では妻が陣痛の痛みに悶絶していた。

この時ある程度までは、いきんではいけないので、それを止めるために肛門にテニスボールを押し当てるのがセオリーらしい。

なので、私はずっとテニスボール係だった。

笑っちゃうような方法だが、妻曰く「人生で初めてテニスボールの存在に感謝した」そうなので、効果は抜群らしい。

誰が最初に試したのか知らないが、人類の知恵の蓄積というのは大したものである。

そして、そのテニスボール係が3時間くらい続いた。

妻が一番大変なのは間違いないが、テニスボール係も力がいるので楽ではないと思い知らされた。

 

妻は鬱で服薬していたこともあるし、過呼吸で倒れたことも何度かあるので、万一陣痛の痛みで忘我になった時に緊急措置ができるようにと早めに分娩室に移された。

だが、そこからの格闘も長かった。

いきんでいいようになっても、すぐに出てくるわけではない。

また時間が長かったことは、妻の陣痛が弱かったこともあるらしい。

陣痛促進剤の投与も検討された。

ただ徐々に近づいてはいたようで、根気強く出てくるのを待つことになった。

その間、私にできることは呼吸法のサポートと水を飲ませることと汗を拭くことくらい。

それでも夫が落ち着いていることが何よりだったようで、助産師さんたちからは「サポート上手」と太鼓判をいただいた。

確かに、落ち着いていることに関しては、私の右に出る者はそうそういない。

 

最後は会陰切開も検討されたが、そうなる前に出てきてくれた。

頭が少し出て髪の毛が見えたくらいからは、私は「いよいよだな」と感じていたのだが、妻からは見えなくてわからなかったらしい。

子がするっと出てきた時、それを見たときの妻の表情は、YouTubeのオモシロ動画なんかに出てきそうな驚愕の表情を浮かべていた。

目をカッと見開いて、口をあんぐりと開けて。

声も出せず、ただただ驚いていた。

産まれてからはしばらく分娩室に滞在した。

その病院はカンガルーケアとやらをやっているそうで、出産直後の2時間は母子同室で触れ合わせるらしい。

その間、妻は食事をとっていた。

食事にも定評のある病院らしく、小洒落た「ゴロゴロ野菜のスープカレー」という名前でもつきそうな料理が出てきた。

私はといえば、妻の指示で子の動画と写真をやたらと撮らされ、両家の親族に出産の報告と動画を送りつけ、それなりに慌ただしく過ごしていた。

 

子は出産時こそ泣き喚いていたが、あとは静かだった。

世界の感覚でも確かめるかのように、手指と足をゆっくり動かす。

呼吸をしながら、飲んでいた羊水を泡のように吹いている。

文字通り、産まれて初めて息をしている。

「呼吸をするように」などと喩えられることもあるが、彼にとって呼吸とはまだ容易いものではないのかもしれない。

目はまだ見えていないのだろう。

開かれてはいるが焦点は合わない。

手に指を近づけると反射で握り返してくる。

その一挙手一投足を観察する。

まさにゼロの状態から、彼が世界をどのように認識していくのか。

実に興味深いなと思った。

 

まぁ生活が激変するのはこれから。

のんびりこんなことを言ったり、書いたりしているのも今のうちだろう。

今のうちだから書いておこう。

これもまた備忘録である。