異呆人

ノンフェータルなペシミズム

個性の生きるチームワーク

私はあまりチームプレーが得意ではない。

正確に言うと、得意でないのではなく好きでない。

なんでも自分の責任の下に自分の意思でやりたいタイプである。

誰かのやったことが自分にも影響したり、自分のやったことが他人にも影響してしまう状況が好きではない。

だから学生時代の部活動も個人競技を選んできたし、仕事も皆で一つのものを作り出すような仕事ではなく、個人プレーで結果を出す仕事をしてきている。

それでもまったくチームワークと無縁だったかといえばそうでもなく、いわゆるリーダー的な立場に立ってチームをまとめる状況にはしばしば置かれてきて、皮肉にもチームワークというものを考える機会はままあったりした。


チームワークといえば、まずは「和」が連想される。

実際にそれが求められるとも思う。

各々が好き勝手なことをしていたらチームはまとまらない。

というか、それはもうチームの体をなしていない。

だからある程度互いに合わせることは必要だと思う。

ぶつかり合ってもどこかで譲歩すること。

最低限のレベルでそれは必要だろう。

ただ、チームのメンバーが互いに譲り合った末に、各々の良さを消してしまってはチームの意味がない。

皆で何かをするということは、それが1人でするよりも高い効果が得られるから意味がある。

単なる足し算以上の効果が得られるのが理想なのである。

各々の個性が生かされ、相乗効果が発揮される状況こそチームワークの真髄だと言えるだろう。


この「和すること」と「個性を生かすこと」は相反する。

ある程度までは両立させることも可能だと思うが、基本的には矛盾しているのである。

だからどの程度の配分でチームメンバーに和と個性を求めていくかは、「そのチームで何をするか?」による。

例えばスポーツの団体競技であれば「和」の配分が大きいと思う。

逆に複数人で取り組む仕事のプロジェクトなどであれば、「個性」の配分が大きめでもいいかもしれない。

どの配分でチームのパフォーマンスが最大になるかを考えるのはリーダーの仕事である。

まぁ、私の場合は「個性」大きめのチームワークを求めたことしかないが。

なんせチームプレーが嫌いなのだから。


「個性」の生きるチームワークに必要なのは緩い連帯である。

縛り過ぎると個性が消える。

だから基本的には自由に活動してもらうのがいい。

要所でだけまとまっていればいいのである。

逆に要所でまとまれなければチームが空中分解する。

そういうチームになってしまったこともある。

だからそんな経験も踏まえて要所でまとまるために必要だと思うことは、チームの目標がきちんと共有されることである。

これに尽きる。

皆で一つの目標に向かうからチームなのである。

これが出来ていそうで意外と出来ていないことが多い。

なんとなく集まったチームになってしまったり、各々の都合を主張し過ぎたりしてしまう。

目標が明確で共有されているなら、最優先されるべきは各自の都合ではなく、チーム目標の達成だと理解できるはずである。

揉めたときや迷ったときは、目標という原点に回帰することができる。

これが最低限求められる「和」でもある。


私の理想のチームのイメージとしては、漫画「ONE PIECE」の麦わらの一味のような感じ。

まぁ、彼らは目標(目的)自体がてんでバラバラではあるんだけれども。

それでも彼らがまとまっているのは、船長であるルフィの人間的魅力のお陰であり、それを考えるとチームにおけるリーダーの役割というのは大きいなと思う。

もちろんあんなカリスマ性を誰もが持っている必要はないわけで、だからこそ共通の目標でまとまる必要があるのである。

良いチームって、向かう方向とか軸がしっかりしてるよな、と世の中のいろんなチームを見ていて思う。

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