異呆人

ノンフェータルなペシミズム

繋がる世界の泳ぎ方

先日、サブブログの方でこんな記事を上げていた。

syuten00.hatenablog.com

私は主にDCG(デジタルカードゲーム)を好んでプレイしていて、ときどき攻略記事まがいのものを書いたり、感想を書いたりしている。

ただこの記事はタイトルからもわかる通り、攻略記事でもなければ感想でもない。

最近、DCG界隈ではサービス終了となるゲームがたくさん出てきている。

当たり前の話ではあるが、企業だって遊びでゲームを作っているわけではなく、それで儲けようと思って作っているのである。

実際、荒稼ぎしているスマホゲームはたくさんあるし、そういったゲームの稼ぐ手段である「ガチャ」が時折批判の的になったりもするのだが、ことDCGに関しては構造的に非常に儲けるのが難しいジャンルになっている。

ではDCGはどのように稼いで生き残っていくべきかを勝手に考えて書いたものが上掲の記事である。

まぁ、一ユーザーの足りない頭で考えたものである。

 

私のtwitterアカウントは結果的にゲーム専用アカウントとなっているので、ゲーム記事に関してはtwitter連携するようにしている。

この記事も同様。

twitterでの私のフォロワー数は250くらいなのだが、実際にアクティブに私のツイートを見ている人は30前後ではないかと思う。

いろんなゲームをやっていてそれぞれのタイトルごとにフォロワーがいたりするので、いつもツイートに「いいね」があったりリツイートされる数は10前後くらい。

世の中という大海からすれば井戸にもならないくらいの狭い内輪の世界である。

大体がツイートしていくらもしないうちに大海に沈んでいく。

まぁこちらも「少しでも多くの人に見てほしい!」と思って必死になっているわけではなく、このブログ以上に吐き捨ての呟きみたいなものなのでそれで構わないと思っている。

 

だがこの記事は少し違っていて、30を超えるくらいリツイートされた。

面白いなと思ったのは「いいね」と同数くらいリツイートされている(つまり拡散されている)ということと、ツイートしてからしばらく細く長くリツイートされたことである。

最初はもちろん私のフォロワーさんたちがリツイートしたりしていたのだが、だんだんまったく初見の人がリツイートしたり、「良記事」というコメント付きで引用ツイートされたりしていた。

水切り石みたいだなと思った。

しばらく沈まずに、知っている人から知らない人へ、知らない人から知らない人へ、少しずつ遠くへ伝わっていく。

数で言えば相変わらず大したことはないし、まぁそれでいいのだが、世の中のいわゆる「バズる」ツイートやブログ記事というのは、こうやって作られていくんだろうなということを垣間見た気がする。

面白い仕組みだなと思うと同時に、畏怖のようなものを感じたのも正直なところである。

 

 

私たちが生きている世界というのはいつの間にかそのように変容していて、教わってもいないのにそんな世界で溺れないように泳ぐことを求められている。

別にSNSを使わなくても生きていけるし、ネット環境から隔離されても生きていくこと自体は可能である。

ただ繋がる世界と距離を置くという選択は決して軽いものではなくなっている。

そのこと自体が事の大きさを表していると思うのである。

単なるコミュニケーションの在りようだけでなく、社会そのものの形まで変わってきている。

例えば今ではLINEで連絡することは当たり前のようになっているが、もちろん世の中にはスマホさえ持っていない人もいる。

ただLINEで連絡する人が大多数になってしまえば、LINEで連絡の取れない人はコミュニケーションから排除されることになるのである。

今ならその状況は「LINEを使っていない人への配慮が足りない」と言われるかもしれないが、LINEが圧倒的な市民権を勝ち得てしまえば、利用しない人のために別の連絡手段をとること自体が社会的なコストとみなされるようになるだろう。

今だにパソコンをまともに使えない中高年のサラリーマンはそこそこいると思うのだが、そういった人たちはビジネスの現場においては残念ながら「お荷物」になっている。

それと同様のことが、新しい物事に対応できないと起こり得るのである。

もちろん、私自身にも。

 

 

しかし、どれほど簡単に見知らぬ人と繋がれるようになったとしても、主体が人であることには変わりないし、繋がる仕組み自体も人が作り、人の手で動かしているものなのである。

私たちは得体の知れない海に浮かんでいるのではなく、どこまでも人の手のかかっていて、生身の人間のいる世界と形を変えて繋がっているだけなのである。

そこには対面して人と接するときのように好意も悪意も溢れているし、筋の通った意見は受け入れられるし、理不尽な意見は怒りを買う。

 

当たり前の話だが、「リアル」と「ネット」のように世界が分かれているのではなく、在るのは「リアル」のみで「ネット」というフィルターを通して発信したり受信したりできるようになっただけなのである。

だから根本的な人と接する技術や相手に物事を伝える技術というのは、やはり求められてくるのではないかなと思う。

 

 

 

まぁそんなことを言っていても、そのうちやり取りする相手のほとんどがAIになる世界がこないとも限らないし、会社や学校に行かずに家で仕事をしたり授業を受けたりするようにならないとも限らない。

それもまた、変わるときはいつの間にかそんな世界がやってきていて、世の多くの人はあたふたしながら時代に追いつこうとするのだろう。

泳いでいるというより、流されているという方が近いかもしれない。

溺れないようにだけはしたいものである。