異呆人

毒にも薬にもならない呟き

「ふるさと」は年に一度しか帰らぬもの

「ふるさと」を、何をもって「ふるさと」とするか。

基本的には自分の生まれ育った土地を指すのだろうが、考え方は人によって様々だろう。

生まれと育ちが別々の人もいれば、親が転勤族だとかで育ちもいろいろだという人もいる。

個人的には「ふるさと」という単語で想起される土地が「ふるさと」でよいのではないかと思う。

きっとそれは幾許かの愛着をもって語られるもので、文字通り郷愁という独特の感慨をもって語られるものだろう。

何にせよ、その人にとって特別な場所であることは間違いない。

 

私の生まれ育ちは、大阪の都市部の住宅地である。

まぁもちろん、そこも「ふるさと」に違いない。

特別な感慨もある。

しかし、お盆などに墓参りに行く土地は別にある。

滋賀県の片田舎、関西といっても福井や岐阜に近い農村部にそれはある。

私が物心ついた頃から、年に一度、お盆の時期に墓参りに行くその土地は、私たち親族の間で「田舎」と呼ばれていた。

確かに、文字通りの「ど田舎」ではある。

ただ父を含め、ほとんどの親戚はそこに居住した事実はない。

だから「田舎に帰る」という言葉は使うのだが、それは厳密には現実に即さない奇妙な言い回しであった。

そんなちょっと変わった「田舎」が、私の想起する「ふるさと」である。

 

由来を少し語ると、そこは私の家系の先祖が暮らしていた土地なのである。

あまり詳しく聞いたことはないが、農業を営んでいたのだと思われる。

そして祖父の代に大阪に出て行った。

祖父は末っ子長男で、先祖代々の土地には姉夫婦が暮らすことになった。

それも詳しい経緯は知らない。

家や田畑や墓を置いてまで都市に出る、止むに止まれぬ理由でもあったのかもしれない。

祖父は「家」というものに律儀にこだわる昔気質な人だったので、親族一同でのお盆の墓参りだけは毎年欠かさなかった(祖父自身は、それ以外にも頻繁に「田舎」に帰っていたようであるが)。

以来、住んだこともない土地に毎年連れて行かれる子や孫にとっても、そこは「田舎」という特別な土地になったのである。

 

どちらかと言えば都会育ちの私にとって、そこは「田舎」という概念に連なる要素に満ち溢れていた土地だった。

見渡す限り広がる田畑。

澄んだ小川(厳密には用水路だったが)。

そこに住まう沢ガニやタニシ。

時折、顔を出す蛇。

大木に囲われた神社。

ぽっとん便所。

夏の甲子園をダイヤル式のチャンネルがついたTVで見ながらスイカを齧り、夜には庭で花火をしたものだった。

その「田舎」の家には祖父の姉夫婦が住んでいたが、同じ敷地内に「はなれ」があり、私たち親族一同はそこに寝泊まりしていた。

十数人で泊まれる「はなれ」があるなんて、長じて考えれば贅沢な話である。

 

今はそこに住んでいた祖父の姉夫婦は亡くなり、無人の家屋だけが残っている。

私たち親族は母屋は使わず、「はなれ」だけをリフォームして別荘のようにそこを使っている。

墓と田畑も残っていて、田畑は人に貸している。

「田舎」という土地にこだわった祖父も亡くなった。

そして、それら諸々の先祖からの財産をどうするかという問題が横たわっている。

大阪から車で2時間以上かかる場所である。

最近は墓を移す人も増えているし、そういったことも選択肢になるのかもしれない。

しかし少なくとも今は、親族の中の誰もその「田舎」を手放す方向では考えていないようである。

それは、住んだことがないといっても親族の皆にとって思い出のある特別な土地、「ふるさと」だからなのかもしれない。

私自身は親族の中で唯一「地元」からも離れているし、あまりこだわりはない。

たとえ二度と赴くことがなくなるのだとしても、そこでの思い出はなくならないし。

 

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定点観測。

毎年、同じ場所、同じ角度から写真を撮っている。

ベタな画なのだが、お気に入り。

驚くほど、毎年変わらない。