異呆人

毒にも薬にもならない呟き

開かれたドアの向こうの鍵のかかったドア

最近、同僚に非常によくしてもらっている。

彼から中古ギターを買って、弾き方をあれこれ教えてもらっているのだが、自宅に招かれてとても丁寧に教えてくれる。

下手くそな私に嫌な顔せず根気よく付き合ってくれる。

とても助かっている。

ついでに彼の奥様にもよくしてもらっている。

彼はときどき、会社のメンバーを集めて自宅で飲み会を開く。

彼の奥様もそれを望んでいるらしい。

彼は下戸なのだが、奥様は喜んで一緒に飲んでくれる。

もはや友人のような感覚である。

 

そんな奥様からは、最近漫画を拝借している。

ギターを教えてもらいに行った折、某Tのお店で妻と漫画を借りている話をしたら、「その漫画が面白いと思うなら、これも読んでみて!」とオススメを貸し出されたのである。

彼女がアニメや漫画好きというのは知っている。

しかしまさか借りることになるとは思っていなかった。

そして、この借りた漫画がまた面白いのだ。

家でのちょっとした隙間時間に読み進めている。

なんというか、至れり尽くせりである。

 

なぜ、こんなによくしてもらっているのかわからない。

非常にありがたい話である。

しかし、こういうことはときどきあるのだ。

その度、私の人生は人に恵まれているなとつくづく感じる。

私はさほど人付き合いの良い方ではない。

来るもの拒まず去る者追わず、といったスタンスだが、めんどくさければ誘いを断ることも厭わない。

1人で平気な人間なのである。

時間の潰し方はいくらでも持ち合わせている。

むしろ、何をしようか考えている時間が楽しいくらいである。

 

そんな私を、多少渋るときも時に強引に連れ出してくれる人がいたりする。

中学生のときの友人がそうだった。

彼は私にカードゲームというものを教えてくれた人間で、よく私を遊びに連れ出してくれた。

「〜行こうよ」と言う彼に、私が「え〜、めんどくさい」と言うまでがいつもの流れみたいなもので、今思えばよくもまあ根気強く誘ってくれたものだなと感謝するしかない。

彼とは今も連絡を取り合い、帰省の際には飲みに行ったり、遊びに行ったりもする。

 

高校生の頃は最も人間関係を忌避していた時期だったのだが、それでも半ば強引に絡んでくる人たちがいた。

授業中も休み時間も、ずっと寝てるか本を読んでいる私に、飽きずに声をかけてくる友人がいた。

寝るか本を読むかの人間の何が面白いのかわからない。

そういえば、ゲームを貸してくれたこともあった。

あれはどうしてそんな流れになったのだろう。

今となってはまったく思い出せない。

 

大学の時も仕事をするようになってからもそうで、私の人間関係というのは非常に受動的に構築されている。

誰かが声をかけてくれて、連れ出してくれて、いつの間にか周りに人がいる。

たぶん私の人生というのはそういうものなのだな、と思っている。

私が望むと望まざるとに関わらず、人と関わるようにできているのである。

幸いなことは、あまり嫌な人間関係がなかったことだろうか。

小学生の頃にどうしても嫌なグループに加わっていたことがあったが、あれはたぶん自分自身がどうしたいか、つまり信念みたいなものがなかったせいだと思う。

自分の中で受け入れられるライン、守らなければならないライン、そういうものがはっきりしてくると、自ずと人付き合いというのは選別されていくということなのだと思っている。

 

そういえば以前、友人がカラオケで何かの曲を歌ったとき、「心の扉を開いて」という歌詞が出てきた。

歌い終わった後、彼は何があったのか「俺も心の扉をもっと開かないとなぁ」と、しみじみと呟いた。

それを聞いた私は軽口で、「そうだな、俺みたいに来るもの拒まずでバンと開いておかないとな」言った。

すると彼に「お前の場合『誰でもどうぞ』って開いているドアの向こうに、もう1つ鍵のかかったドアがあるけどな」と言われた。

なるほど、言い得て妙である。

絶対に開かないとわかっているドアがあるから、「ここまでは大丈夫」と安心して開放できるドアもあるということか。

そう考えると、もしかすると私の魅力というのは、入った部屋の向こうにまだ何かあるぞ、と思わせる不可思議さにあるのかもしれない。

まぁ、本当にそんなものがあるかどうかは別として。