異呆人

毒にも薬にもならない呟き

こつこつこつこつ

先週末、体調不良だったものが少しずつ回復している。

結局、病院には行かなかった。

風邪薬の解熱効果でごまかしていたのだが、そのうち熱が上がらなくなった。

代わりに、下痢が治らなくてしばらくは苦労していたのだが、それもだいぶマシになってきた。

良くなり始めてからは、医者にかかってもどうしてもらうこともないので、自分なりに安静にして経過を観察していた。

今日は休みを取っている。

ゆっくりすればすっかり快復するだろう。

 

最近は毎日少しずつギターの練習をしている。

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同僚はすっかりその気になり、早く一緒に演奏できるようにとあれこれ計らってくれている。

私はきっと上手でないというか、得意でないのだと思うが(比較対象がないのでよくわからない)、根気強く教えてくれる。

以前1人で始めたときはすぐにやめてしまったのだが、今回ももし自分1人で始めたことだったらやめてただろうなと思う。

私はこつこつと積み上げるようなことが苦手なのである。

同じことの反復が耐えられない。

反復の中に変化があればいいし、下手なりに少しずつできるようにはなってきているのでそれを変化と捉えているのだが、あまりに進歩の速度が遅いので嫌になりそうになる。

それでもせっかく教えてもらっているのだから、すごく上手になれなくても一緒に演奏できるくらいにはなりたい、期待に応えたいと思って続けている。

そんな感じ。

 

私はたぶん自分の中から強烈なモチベーションが上がってくることのない人間なのだと思う。

むしろ自分のやりたいことの方が簡単に諦められてしまう。

自分のやりたいことの場合、やめて被害を被る人がいるとしたら自分くらいだからである。

それが誰かと一緒に始めたことなら相手のことを考えてやめづらくなるし、誰かのために始めたことならその人のために続けようと頑張れる。

家事とか料理とかも妻がいるから手を抜かずにやるし、仕事も自分が主体的に考えた仕事より頼まれた仕事の方が捗る。

 

私自身の考え方としては、人生というのは他でもない自分自身のものだし、基本的には自分勝手に生きたらいいと思っている。

少し言い方を変えると、自分1人を幸せにできない人間が他人を幸せにすることなどできないと思っている。

他人のことをまったく気にするなとは言わないし、むしろ周囲に配慮したり期待に応えたりすることは良いことだとは思うが、それはキャパシティに余裕のある人間のすることだと思うのだ。

もちろん、自分勝手に生きることは誰かの「自分勝手に生きる」とぶつかり合うことがあるだろうし、誰かの権利を奪ったり妨害するようなことは論外なのだが、まあ基本的なスタンスとして。

誰かのために何かをするということは、自分にとってなんの利益も生まないことがある。

むしろコストがかかる分だけ不利益を被ることさえある。

端的に言えば、時に「バカ」をみる。

だから誰かのために何かをするには、「まったくその努力が水泡に帰してもいい」、「見返りなど一切いらない」という気持ちを持たないといけないと思う。

極端な話。

 

そう思っているにも関わらず、私自身が自分のことより他人のことに時間を使うのは、単に私がそういう人間だからである。

そう思って諦めている。

褒められたいとか、認められたいとか、頼られて嬉しいというのもあるだろうが、たぶん根本的なところは少し違う。

したいからそうするのである。

それが「誰かのため」という皮をかぶった自己満足だとわかっているから、そう思う。

私は私という存在を安定させるために、自分の能力や時間を分け与えるのである。

だから当然、見返りなんていらない。

まぁどうせ余っているものでもあるし。

 

今日もこつこつこつこつギターを掻き鳴らす。

自分のためのようで自分のためでなく、それでもやっぱり自分のためであることとして。

2週間に1度くらい、同僚の自宅にお邪魔してギターを教わる。

ちょうど昨日は他の職場の人間たちとお邪魔して酒盛りし、その酒盛りの横でギターを鳴らしていた。

ストロークが強いと言われた。

だから自分でもわかるくらい耳障りな音が鳴る。

難しい。

頭の中で流れる音楽に、指がついていかない。

もどかしい。

「続けていると、あるとき急に上手くなったりするもんですよ」と言われる。

本当かどうか知らないし、本当かどうかどちらでもいい。

そう言ってモチベートしてくれるから私は続けるだけである。