異呆人

毒にも薬にもならない呟き

ズレた間のワルさも それも君のタイミング

同僚の女性が「最近、昔、登録していた派遣会社から頻繁に電話がかかってくる」と話していた。

どこも人手不足なのだろう。

今は事務員としてのほほんと仕事をしている彼女も、以前は大手の証券会社で営業をしていたのだから、人材派遣会社としては声の一つや二つかけたくもなるのかもしれない。

私も以前きっぱり断ってからはさっぱりだが、定期的に派遣会社から電話がかかってきた時期があった。

そもそも派遣会社に登録していた時期があったのかと驚かれるが、前の会社は半ば急に辞めることにしたので、転職サイトや派遣会社に片っ端から登録していたのである。

地元に帰って実家の世話になる気はなかった。

そうなら食い扶持がなければ路頭を彷徨うことになる。

贅沢は言っていられなかった。

そんな中、派遣会社から紹介されたのが今の仕事なのである。

6年前の今頃、「7月末で辞めます」と啖呵を切っていた中、「8/1からすぐ来てほしい」という条件は渡りに船だった。

彼女には何度か話したであろう、そんないきさつをまた話す。

「ほんと、うちの会社もいい拾い物したよね」と彼女は言う。

人のことを物扱いしてはいるが、持ち上げられてはいるようである。

 

「いい拾い物」だったかどうかはわからない。

私はあれこれ文句も言うし、注文もつける。

筋が通ってないと判断したら、相手の役職に構わず意義申し立てる。

やる気が出ないときは「やる気が出ない」とはっきり言うし(やるべきことはやる)、暇なときは「暇だから何か仕事はないか」と聞いて回るので「あまり暇アピールするな」と窘められる。

いずれ扱いにくい人間である。

だから「いい拾い物」だと言えるかどうかはわからないが、双方にとってタイミングが良かったことは間違いないと思う。

そして私はこのタイミングというのが人生において最も重要なものの一つだと思っている。

物事が上手く運ぶかどうかは、理に適っているか、時に適っているかにかかっているというのが持論である。

理に適うというのはそのままの意味である。

上手くいくための明確な理屈があるかどうか。

時に適うというのはタイミングが合っているか、あるいは時代に適合しているか。

「時代を先取りし過ぎた」などと言われて上手くいかないのは、時に適っていないからだと思っている。

 

難しいのは、このタイミングというのは選べないことである。

私はそもそも世界の在り方について、決定論的な運命論を持っている。

syuten0416.hatenablog.com

すべての物事は起こるべくして起こる。

意味や理由はなくても因果はある。

偶然というのは見る主体からして偶然であるというだけである。

だから良いタイミングも悪いタイミングも、向こうからただやってくる。

なんならそこでの選択もすべて決まっているのだが、それを言い出すとラチがあかないので一旦置いておく。

何が言いたいかというと、どんなに頑張っても、これ以上ない最善のプロセスを踏んだとしても、上手くいかないときは上手くいかないのである。

 

努力が実を結ぶとは限らないから努力はしないでいいかというとそうでないように、タイミングなんて選べないから計らないでいいかというとそうでもない。

選びに選んでも最善じゃないこともあるということを、心得ておく必要があるということである。

チャンスの神様は後頭部ハゲだと言われるが、前から見ただけでは後ろが禿げてるかなんてわからない。

とにかく前屈みに挑むことが最善だとも言えない。

じっくり待った方がうまくいくこともある。

逃したら逃したで次があると思う適度な鷹揚さ、次がないなら諦めてしまう潔さも必要ではないかと思うのである。

そしてピタリと合うのが難しいのがタイミングだからこそ、結ばれた縁は大事にしたいなとも思う。

もしかしたら今の会社への入社を決めなかったら、もっと良い環境にありつけていたかもしれない。

あるいは一度転職の話を途中で蹴ったのだが、それが進んでいればもっと自分の力を活かせる環境で好待遇で働けていたかもしれない。

それでもいろんなタイミング、縁の積み重ねでこうやって今の会社で仕事を続けているのだから、いる以上は少しでも会社やそこで働く人のプラスになるように仕事をしたいなと思っている。

 

「袖振り合うも多生の縁」

どうでもいいけど、この言葉に使われる単語とフレーズの意味を勘違いしてる人って多いよね。