異呆人

毒にも薬にもならない呟き

迷うのは構わないが、悩むのは無駄である

先日、やけに妻がストレスフルな状態になっていた。

別に何を言うわけでもないが、見ていればわかる。

仕事も在宅のアルバイトに切り替え、人間関係によるストレスも減ったはずなのに、何か思うところがあるのだろうか。

そう思ったのでストレートに聞いてみたら、子供ができなかったらどうしよう、ということに悩んでいるらしかった。

子作りに取り組んで3ヶ月ほど。

今のところその兆候はない。

私からすればまだ3ヶ月といった感じだし、とりあえず1年くらい頑張ってから考えたらいいんじゃないかと思うが、妻が不安に思うなら、それは私がいくら心配すべきことではないと言っても仕方ないのである。

 

仕事をする環境が変わったこともあるようだった。

家で仕事をするものだから、日中は誰とも喋らずに黙々と作業をすることになる。

また在宅のバイトなど仕事量の調整弁なわけだから、繁閑の差が激しい。

最初の1ヶ月ほどは会社に通っていたときと変わらないくらいの仕事量だったようだが、最近は繁忙期を過ぎてほとんど仕事がなくなり時間を持て余しているようである。

いずれも在宅に切り替える前からわかっていたことで、初めからわかっていたことだということは妻も承知している。

ただ頭で理解しているということと、現実を受け入れることは別なのだろう。

まぁ人間概ねそんなものである。

 

それで「子供ができなかったらどうしよう」→「子育てまで考えて在宅にしたから、新しく別の仕事を始めようか」→「不妊治療とかしないと駄目なのかな。それでもできなかったら里子とか?」などなど、不安が不安を読んで一人で大変なことになっていたらしい。

大げさだと思われるかもしれないが、それが妻という人間なのである。

それだけ子供が好きで、子供を授かりたいと思っていることの表れでもあるし、悪いことだとは思わない。

ただ、その状態を放っておくことは妻自身にとってよろしくない。

とりあえずは「1年間子作りを頑張ってみて、駄目だったら駄目だったときに考える」、「仕事はそれまで今の在宅のものを続ける。追加でやるとしても単発の日雇いのみ」ということを決めた。

妻のようなタイプは、具体的な方向づけさえしてあげれば落ち着くものである。

案の定、それですっかり不安は解消されたようで機嫌も良くなった。

 

誰のエッセイだったか、はたまたどこかの小説の登場人物の発言だったか忘れてしまったが、「迷うのは構わないが、悩むのは無駄」というフレーズを見たことがあり、以来自分の中の格言として胸にしまっている。

ここでいう「迷う」というのは、答えを出せる問いについて思索を巡らせることである。

「Aにするか、Bにするか」といったような、具体的な選択肢のある問いだと考えればわかりやすいかもしれない。

反対に「悩む」というのは、答えの出ない問いについて思索を巡らせることである。

将来に対する漠然とした不安だとか、「勤めている会社が倒産したらどうしよう」といった仮定の話とか、そういったことについてあれこれ考えることである。

わからないものは、いくら考えたってわからないのだ。

だったら考えるだけ無駄である。

「案ずるより産むが易し」とばかりに、デンと構えていれば良い。

 

妻の不安というのも、答えの出ない仮定の話である。

いくら考えても不安になるだけで、ちっとも良いことはない。

予防線を張っておいたり、準備をしておくことも大切だが、実際に答えを出せる状況になってから素早く動けばいいのである。

もちろん私みたいにスパッと割り切れる人ばかりではないだろう。

「そうは言われても」と思う人もいるはずである。

いきなり丸々すべて受け入れる必要はないが、そんな考え方もあるんだなくらいに心に留めておくと、いつかどこかで自分の中で腑に落ちる場面がくるかもしれない。

それはこの考え方に限らず、いろんな経験についても同じことが言えると思うが。

 

そうと決まればというか、なんというか、妻は身体に良いことに急にこだわり始めた。

身体を冷やさないように冷たい飲み物を避けたり、鉄分がどうだとかビタミンがどうだとかで食材を工夫してみたり。

良いことだと思う。

効果のほどはどうなのか知らないが、仮に効果がないものなのだとしても、そういった努力をしているということが本人の安心感につながる。

この場合、何をしているかだけでなく、何かをしているということそのものが大切なのである。

 

それじゃあ、私も亜鉛でも飲んだ方がいいのかな。

まぁ私のような疑念に満ちた人間には、プラセボ効果は出そうもないが。