異呆人

毒にも薬にもならない呟き

金持ちがモテるのは悪いことか?

最近、通勤電車に揺られていると、Amazonプライム・ビデオの「バチェラー」の車内広告が目についた。

イケメンを取り囲むたくさんの美女という構図がなんとも目を引く。

海外ドラマか何かかと思ったら、一応ノンフィクションらしい。

google先生に聞いてみたら、日本版もあるとのこと。

昔の「あいのり」、少し前なら「テラスハウス」みたいな感じだろうか。

あれだって「やらせ」じゃないかとか何だとか散々批判を浴びながら長く続いたし、こうやってまた新手の焼き増しみたいなのが出てくるくらいだから、日本人というのは兎角他人の色恋沙汰が好きなものらしい。

いや、これは海外番組の移植ものなのだから、万国共通と言った方がいいのだろうか。

いずれにせよ、視聴していないし、今後視聴するつもりもない私がとやかく言うことではない。

 

ノンフィクションだとして、容姿端麗で資産もあって社会的ステータスもある男性なら、きっと女性としては是非ともお付き合いしたいところなのだろう。

それでもって、そんなあれこれを妬ましく思う男性や女性もいるのだろう。

「金目当てじゃないか」とか「いたずらに女性性を武器にしている」とか。

まぁ当人同士が幸せなら、他人がとやかく言うことではないと思う。

 

そんなことをぼーっと考えていたら、大学時代に部活動の後輩から受けた相談を思い出した。

私が4年生、彼が1年生で医学生だった。

この後輩はときどき悩み相談というか、人生相談というか、なんらか私に意見を求めてくることがあった。

理由はよくわからない。

私はどちらかといえば、当時は気難しくて話しづらい方だったと思う。

たぶん大学外で練習をする時などの移動に私が車を出して連れて行っていたから、話す機会が多かっただけだろう。

 

さておき、彼は入学早々、掛け持ちしている別のサークルで交際相手ができたらしかった。

彼はバカ正直でバカ真面目なので、それはすぐに部員たちに知れることになる。

そしてまたそれをひやかされたりする。

いわゆる「いじられキャラ」なのである。

そうやって一通りひやかされたある日、彼は突然「僕、ときどき思うんですけど、彼女は僕が医学生だから付き合ってるんじゃないかって」と言い出した。

これは当時の彼の交際相手が具体的にどうだとか、不満があるとかいうわけではないらしかった。

今後彼が医者を目指し、また医者として生きていくにあたって、ずっとそんな疑念をもって恋愛をしなければならないのだろうか、という話だった。

ちなみに彼が、この考え自体が傲慢で嫌味かもしれないとひとしきり断った上での話である。

 

その話を聞いて、私はどこかで見聞きした意見を思い出した。

「顔の良い奴とか、運動神経の良い奴がモテるんだから、お金を稼ぐ能力がある奴がモテて何が悪いのか」という意見である。

はっきり覚えていないが、確か堀江貴文氏のコメントだったと思う。

なるほどな、と思った。

例えば、こんな話を私にした彼は「自分のことが好きなんじゃなくて、医者というステータス(あるいはそれによってもたらされる資産)が好きなんじゃないか」と考えているわけである。

しかしここでいう「自分」に「医者」というステータスは含まれないのだろうか。

もし「自分」というものを性格だとか内面的なものに限定すると、それだけで成立する恋愛なんて皆無だろう。

「自分」というものはそんなに単純なものではなく、もっとたくさんの構成要素によって成り立っているはずである。

その中には足が速いことも含まれるかもしれないし、金を稼げることも含まれるかもしれないし、すでに金を持っていることも含まれるかもしれない。

つまり彼が将来医者になり、金をがっぽり稼ぐとするなら、それをすべて含めて彼自身なのである。

だから実際どうであれ、仮に彼が医者であるがためにモテることがあるとしても、それは悩むことや恥ずべきことではない。

もちろん世の中には相手の資産目当てで結婚して、人殺しまでするような輩もいるわけだが、それは金持ちがモテることが悪いことの理由にはならない。

そんなレアケースに限らず、本気の悪意から身を守る術などほとんどない。

 

「そんなことを言ってる人もいるよ」と、私は話した。

彼がそれでどれだけ納得できたかはしらない。

あとは彼自身の問題である。

ちなみに彼はその後、結婚し、今は子供も1人いる。

医者としてもバリバリ仕事をしているし、はたから見ていると仕事もプライベートも順調そうである。

それはひとえに彼の努力や人間性の賜物なのである。

彼自身が医者であるというだけで、一般的な「成功」を収めている訳ではないのだ。

社会的な成功(主に金銭的な面で)を収めている人間というのは妬まれやすいが、彼ら彼女らもそれ相応の努力をして今の地位にいるはずである。

もちろん、あぶく銭を手にした人間もいれば、親のステータスを利用しているだけの人間もいるわけだから一律に擁護できるものではないと思うが、一律に批判されるべきものでもないだろう。

 

そう考えると、「自分」というのをどこからどこまでと捉えるかというのは難しい問題だなぁと、全然関係ないことまで思考が及び始めたので、この辺でやめておくことにする。