異呆人

毒にも薬にもならない呟き

親は何をどうしてもずっと親

今週のお題「おかあさん」

 

つい先日の話。

母親から連絡があった。

父親が今度新しくやることになった仕事を自分も手伝うから、私にもその仕事の話を聞いてほしいとのことだった。

父親の仕事というのはネットワークビジネスである。

いつからその仕事をしているのかは知らない。

少なくとも何十年も前から、その世界で生きている。

幼い頃は父がどんな仕事をしているのかわからなくて何とも思わなかったが、たしか大学生くらいのときにそのことを知り、あまり良い気がしなかったのを覚えている。

しかし私はそんな彼が稼いだ金で生きてきているので、辞めろだなんだと偉そうなことは言えない。

言うつもりはない。

だから何も言わず、固いものを飲み込む感じで生きている。

さておき、その父が還暦を過ぎて新しい仕事をするらしい。

と言っても、同業の別の会社に鞍替えするだけである。

厳密に言えば、父の会社が買収されるので移籍するらしい。

そして母がその仕事の手伝いをするということは、要は自分もネットワークビジネスを始めるということである。

話を聞くことは気が重いというか、溜め息しか出ない。

できれば知らないところで勝手にやっていてほしい。

 

とりあえず話は聞くことにした。

母親以外にそこの会社の人が来て話をしてくれるそうだが、まぁどんな魑魅魍魎が来ても問題ない。

場を収めて帰るだけである。

当日は都内のホテルのラウンジで話を聞いた。

母親以外にそこの会社の人が2人いた。

私に同じようにネットワークビジネスをやってほしいと言われたが、丁重にお断りした。

母に連なって私が登録すれば、あとは母が「頑張る」という話だったが、別に私は身の丈以上に金が欲しいわけではない。

やらないのは、単純に自分さえ良ければいいと思えないだけである。

ネットワークビジネスは儲からない商売ではないが、末端まで儲かる商売ではない。

いかに川上にポジションを取れるかというだけの話である。

逆に言えば、川下にいる人たちを切り捨てるような形になる。

ねずみ算式に増える川下の人たちを「そんな直接の知り合いでない人の面倒は見れない」と思えるかどうかである。

 

母がどこまでその仕組みを理解しているかは知らない。

頭は良くない人である。

それに自覚的であるのに、いや、だからこそ自分より頭の良さそうな人に任せてしまおうとする。

「息子さんの収入アップにもつながりますよ!」とでも言われ、それを半ば本気にしているのだろう。

父とさほどうまくいってもいないので、自分自身で稼げるようになれば別れたいとも思っているのかもしれない。

そんな思惑はどうでもいい。

私には母の考え方を変える気はないし、関わる気もない。

目に見える範囲で他人様に迷惑をかけなければいい。

そのくらいなら防いでやれるだろう。

それ以上先は残念ながらお手上げである。

目の前で熱弁を振るい説得しようとする、私よりほんの少し歳上程度の男の言葉が右から左に流れていく。

上手ではないが下手でもない。

話法の基本は抑えているが、たぶん本質的に向いてはいない。

これなら私の方が上手にやれる。

そんなことを考えて時間を潰す。

否定もせず肯定もせず、私はやらないという意思だけ明確に伝えた。

母はまだまだこれからなのだろう。

「宜しくお願いしますね」と言って帰ってきた。

誰に何を頼んだかわかって言っていて、自嘲的な笑いが胸中に起こる。

 

母は善良である。

論理的でなく感情的で、行動はときに矛盾しているのだが、そこに悪気はない。

ロジカルでシニカルな私にとってはイライラさせる存在だし、極力関わらないようにして生きているのだが、善良だとわかっているから放ってはおけない。

祖父や祖母の影響で宗教活動も積極的に行っていて、それについても周囲から迷惑がられたり有り難がられたりしている。

それも本当に周りの幸せや世界平和なんか願っているからで、そういう大きなお世話だと皆わかっているから、鬱陶しがられることはあっても嫌われることはない。

そんな人。

 

私にとっては反面教師でもある。

母は周りの幸せを願ってあれこれするのだが、肝心の本人が幸せそうに見えない。

ストレスで胃潰瘍を患う有様である。

おまけに周りも幸せになっているのかどうかわからない。

あちらを立てればこちらが立たず。

まるでモグラ叩きのように徒労を繰り返しているようである。

それはそうで、誰もが幸せになれる魔法のような方法があるのなら、世界からはとっくに戦争なんてなくなっている。

誰かの不幸の上に誰かの幸せが成り立ってしまうこともあるのだ。

というか私がそんな風にモノを考えるようになったのも、母のせいだと言える。

優しいだけでは何も守れない。

強くあり、賢くなければ、簡単に足元を掬われるのが世間である。

 

ここ数年、母の日にはカーネーションを送っている。

以前は「花より団子」の私はあれこれ考えて他の物をプレゼントしていた。

しかし一度カーネーションを送ったら思いの外喜んでくれたので、それからは考えるのも面倒なのでカーネーションにしている。

好きではないが、親である。

何かあれば自分が面倒を見なければならないときもあるだろう。

そういう自分本位な考え方もあり、健康でいてくれたらいいと思っている。

心の健康も大切なこと。

だから喜んでもらうことは非常に良い。

今年は紫のカーネーションにした。

特に意味はない。