異呆人

毒にも薬にもならない呟き

クリスマスは今年もやって来る

twitterなんかを眺めていると、クリスマス界隈の話題で実に賑やかである。

日本人は「恋人たちのクリスマス」という様式をすっかり受け入れており、受け入れているクセに、それに対して妙に批判的だったりするから面白いなと思う。

気にしなければいいと思うのだが、そうもいかないのが人情か。

まぁクリスマスごときでああだこうだ言っていられるうちは、日本も平和で幸せなことである。

 

私はクリスマスに対して大した思い入れはない。

思い出もない。

本来的な主旨と外れていることに対して批判する気持ちもあまりない。

(少しはある)

それは私が結婚しているからでもなんでもない。

そもそも興味がないからである。

「クリスマスぼっち」などと言う人もいるようだが、私だって妻と付き合い始める2年前までは、クリスマスを女性と過ごしたことなどなかった。

そうしたいとも思わなかった。

結局、「クリスマスぼっち」などと言う人間は、周囲の雰囲気に迎合的なのである。

「みんなと一緒がいい」と思うタイプなのだろう。

それが悪いとは言わないが、ネタにするにしてもあまり露骨だとみっともないと思う。

 

妻と付き合う前までは、よく「なぜ彼女を作らないのか」と言われていた。

私としては「なぜって言われても…」といった感じで、むしろ「なぜ彼女がほしいんですか?」と聞いていたくらいである。

まぁ男からすればストレートにセックスをしたいからだったりするみたいだが、女性からは「独りが寂しいから」という意見をよく聞いたように思う。

私はこの「独りが寂しい」という感覚がよくわからない。

持ち合わせていないというか、どこかに置いてきたというか。

昔は独りで生きていく強さがほしかった。

経済的な、ではなく精神的な。

そしてティーンエイジャーの頃の努力が実って、私は誰かや何かに依拠しない自分自身というものを手に入れた。

それは自分一人で生きていけるということではなく、自分という存在が何からも独立してそこにあるということを認識するということである。

人はどこまでいっても孤独だと認めるということである。

 

さておき、世間は私のそんなどうでもいい思索を他所に、狂騒のような祝祭に踊る。

私は特別否定するでもなく、適当に乗っかる。

妻にクリスマスプレゼントを買い、いつもは行かないような少し「良いお店」でディナーを食べる。

「それが何であるか?」が大切でないこともある。

楽しければそれでいいというのは、半分くらいは正解だと思う。

ちなみに妻へのクリスマスプレゼントは、妻自身が自分で見つけて買ってきたカバンである。

慎重な妻はプレゼントの下見に出かけたのだが、そのときに自分の好みにドンピシャの品物を見つけたらしく、そしてそのまま買ってしまったらしい。

よって私はその代金だけを精算するという、実に味も素っ気もないことをすることにした。

もう恋人同士ではなく配偶者なのだから、それくらい現実的な対応でも勘弁してほしい。

 

あとは炊飯器と加湿器を買った。

加湿器は部屋が暖房で乾燥すると言って妻が欲しがった。

炊飯器は釜の内側が剥げてきたので買い換えることにした。

いずれも生活に必要なもので、クリスマス感はまったくない。

買い物をして食事をしただけで、プレゼントも自分で買ってしまうことになったのに、妻は非常に上機嫌だった。

寝る前にひとしきり、今日どれだけ楽しかったか話し、感謝の言葉を述べていた。

感謝されるようなことはしていない。

そんな、これもまた味気ない感想を抱きながら眠りに落ちた。

もう、人間がそういう風にできてしまっているのだから仕方ない。

まぁ喜んでくれたならいいか、と思う。

これしきで妻の機嫌が良くなるなら、クリスマスだって捨てたものではない。