異呆人

毒にも薬にもならない呟き

「面白いことないかなぁ」と言ってしまうことが嫌

最近、このブログの記事の割合もそうだが、ゲームをやり過ぎているなと感じる。

それが悪いわけでもなんでもないし、ゲームは好きだからいいのだが、でもやっぱり個人的には好ましくないなと思ってしまう。

それは今の私にとってゲームをするということが、それそのものが目的になるようなアクティビティではなく、空いた時間にやりたいことだからである。

裏を返せば、それだけ他にやりたいことがなく、空いた時間ができてしまっているということである。

仕事は忙しいのだが、私の場合、拘束時間は長くても実働時間は短い。

だから隙間時間はたくさんあるのだが、そういうときにやりたいことというか、目標になるようなものがない。

まぁそれは今に始まったことではないのだが、結婚してからその傾向がより強まっているというのも寂しいものだなと思う。

 

一人暮らしだったときは、よく外出していた。

主に美術館に行ったり、ウィンドウショッピングをしたりしていただけだが。

でも隙間時間の消費の仕方がゲーム一辺倒ではなく、「ちょっと外でもぶらっとするかな」と思えたわけである。

今はどうしても妻を一緒に連れていかなければならないし、そうすると若干好みも違うし、あと妻は体力がないのですぐ疲れて家でゴロゴロしたがるし、妻が出かけて私一人のときはこうやってブログを書く時間をとってしまいたかったりで、結局出歩かなくなってしまっている。


日常生活をこなすというか、捌くというか、目の前にある状況を処理することは、私にとっては難しいことではない。

人の能力というものは概ね経験によって培われるものである。

齢30を過ぎた人間が経験したことがないような、自分の能力では処理不可能な状況というのはそうそうない。

しかし逆に新たな能力を獲得する、人間として成長するためには、そういった未経験の領域にどんどん踏み込んでいくことが必要になる。

だから、やりたいことがない、面白いことがないと思って日常を過ごしている現状は、人間的に停滞しているということである。

良くないな、とは思う。

しかし変える気がないから行動を起こしていないわけでもある。


昔からそうなのだが、「何か面白いことないかな〜」と言ってしまうことが嫌いである。

「面白いこと」というのは口を開けて待っていたって、飛び込んで来てくれるようなものではない。

主体的に探して回って、ようやく出会えるかどうかである。

ある日突然何かが起こるご都合主義は、フィクションの世界でしか起こりえない。

まぁ、よほど運が良ければ場当たり的でも出会えるのかもしれないが、少なくとも私は自分がそのような幸運な人間だとは思っていない。

だからもう少し若い頃は、とにかく環境を変えて自分に新しい刺激を与え続けたものである。

何がどうなるかはわからないが、何もしなければ何も変わらないままだという焦燥感があった。

きっとそういう感覚を「若い」というのだろう。


若くなくなりつつある今の私に、その焦燥感はない。

むしろ大して変わり映えしない日常を、有り難く思っている節すらある。

その代わりに、面白くないことを受け入れなければならない。

まだその覚悟が少しばかり足りないのだなと思う。

でも、来るか来ないかわからない何かの時のために、爪を研ぎ続けることはしておきたいなと思う。

結婚に関するアレコレで、バタバタしている間に今年が終わりつつあると感じる。

来年は何をしようか。

それをゆっくり考えるくらいの時間は持ちたいものである。