異呆人

毒にも薬にもならない呟き

ルーティンの効用

私は普段の生活の中でルーティンが多い。
朝食は同じものを食べ、同じ順番で身支度を整えてから出社する。
仕事での業務前の準備も同じで、やることとやる順番が決まっている。
普段と違うことが嫌いなわけではないが、普段と違うことは滅多にしない。
それは私がめんどくさがりだからである。
だからルーティンを好む。

ルーティンには良い悪い様々な意見があったりするが、私はルーティンの一番のメリットを省力化だと考えている。
毎朝同じものを食べることで、何を食べようかと考える時間を減らす。
同じ順番で身支度をすることで、動線を短くする。
特に歳を重ねてくると、頭の中のメモリの使用可能量がどんどん減ってきていると感じる。
考える量は極力減らしたい。
でないと、本当に必要なことに十分に時間も集中力も割けない。

同じような人は結構いるようだが、物の置き場所も全部決まっている。
探す手間を省くためである。
例えば私のデスクに置いてある筆立ては漢字の田の字の形をしているのだが、そのそれぞれの四角に何を立てるかが決まっている。
ボールペン各色が右手前、シャーペンとマーカーとホッチキスが左手前、ハサミとカッターは左奥、定規と油性マジックが右奥である。
だから誰かが触って戻す場所を間違えているとすぐわかる。
私の文房具のバリエーションは周りの社員より少し多い。
だから拝借されることも多いのだが、戻すときは元の場所に戻しておいてほしいと思う。
この置き場所を確認するのも、朝の業務ルーティンの一つである。

ここ数日、家での朝のルーティンがおかしくなっていた。
出社する日は朝まず起きたら弁当を作り、それから朝食を食べ、ゴミ出しの種類を確認してから処理し、身支度をしてから出かける。
この中のゴミ出しが何度も抜け落ちていた。
スマホの不調で寝坊したり、いつもと違うローテーションで出張が入ったりしたせいだろうが、少し疲れているのもあるかもしれない。
私には疲労感を遮断して活動し続ける「バーサーカーモード」が備わっているが、最近はそこまで無理することもない。
年々、無理の反動は大きくなる。
というか、無理してまでやりたいことも少なくなってきた。

仕事だって本当は営業みたいな自由度の高い仕事ではなく、出来るだけ毎日同じことをするようなルーティンワークをしていたい。
給与とか採用とか考えたときに、私が納得できるのが営業職しかないだけである。
ルーティンワークをこなしながら、頭の中では妄想を繰り広げるのである。
手だけ動かしていればいいような仕事の場合、私は結構考え事をしながら作業する。
それが結構楽しい。
まぁ、やり始めたらやり始めたで辛いんだろうが。
こういうのはすべからく無い物ねだりである。