異呆人

毒にも薬にもならない呟き

毒を吐く

「毒を吐く人」あるいは「言い方に毒のある人」と、よく言われる。

この場合の「毒」というのは、もちろん人を死に至らしめるような化学物質ではない。

辞書的には「悪意」あるいは「人の心を傷つけること」を言うらしい。

そんな風に言われてしまうと些かオーバーな表現である気もするが、そういった意味での「毒」が私にあることは否定しない。

少なくとも、私は攻撃的な意図と意思を持っていわゆる「毒」を吐くことがある。

別に誰彼構わず「毒」を吐くわけではない。

明確に相手を批難したいときに「毒」を吐くのである。

ストレートに言えば喧嘩を売っているような内容を、丁寧に遠回しに、ボールゾーンからストライクゾーンに切れ込んでくるスライダーのように投げる。

「悪意」というのが誇大なら、「皮肉」といえばしっくりくるだろうか。

 

なぜそんなまどろっこしいことをするかというと、世の中というのがそれだけまどろっこしいものだからである。

目の前にいる相手と一戦交えて、それで終いならそうする。

だが、例えば仕事なら、その相手とまた引き続き顔を合わせなければならない状況になるわけである。

だから相手がムッとする程度で済むようにする。

修復不能なまでに関係を悪化させず、それでいて相手に批難の意を伝えるのである。

その際のポイントは「自分が悪く言われた」と認識するかどうかのギリギリのボールを投げることである。

私の吐く「毒」に対して「悪く言われた」と認識するということは、それが自分のやったことで、なおかつそれが悪いことだと認識しているということである。

つまり自覚があるから「毒を吐かれた」と思うわけである。

実際、「毒」を吐かれても気づかない人もいる。

こちらの方がタチが悪かったりするのだが。

 

あと、単に私が厳しいことを言ったり、率直にものを言い過ぎるので、「毒がある」と言う人もいるようである。

確かにそういうときもある。

しかしその場合の私の相手に対する気持ちは正反対で、「悪意」ではなく「好意」があるから厳しいことを言うのである。

どうでもいい相手なら放っておく。

せいぜい前述の方の「毒」を吐く程度である。

だって、どうでもいいから。

それで相手が最終的に困ろうと、進歩しなかろうと、そんなことは気にしないから何も言わない。

良くなる素地がある、良くなってほしいと期待するから、チクリと痛みを感じるようなことも言うのである。

その私の意図が正確に相手に伝わっているかどうかは、どうでもいいことだと思っている。

誰かに良く思われたくてそんなことをしているわけではないからだ。

最終的に相手のためになりさえすればいい。

そういう見返りを求めない純粋な好意からの発言である。

 

別に「毒」ばかり吐いている、苦言ばかり呈しているわけではないのだが。

むしろ褒めることも多いと思う。

ただ「毒」の方があまりにもインパクトが強いので、そう思われてしまうのだろう。

役回り的には損なのかもしれない。

まぁそれが「私」という人間である。