異呆人

毒にも薬にもならない呟き

視線の先に

昔からよくボーっと考え事をする。
何を考えているかというと、まさにこのブログ記事のような取り留めもないことや、その状況にまったくそぐわないことを考えている。
だからそんなところを誰かに見られ、「何考えてるの?」と言われても返答に困るというか、答えたくないようなことを考えていることが多い。
空想は自由である。
頭の中では何を考えていても許される。
表現すると他者に影響を及ぼしたりもするが、考えることで影響を受けるのは自分自身だけである。
だからボーっとすることが好きだ。
ボーっとすると言っても何も考えていないわけではないし、「黄昏てる」などと言われることもあるが、そんなセンチメンタルなものでもない。

ただしこれには困ることが一つだけあって、たまにその視線の先に何かがあったり、誰かがいるのである。
こちらは視線の先を眺めているわけではない。
自分の脳裏に浮かぶ光景を眺めているだけだ。
しかし黙ってじっと視線の先を見据える体勢は、見つめていると誤解されても仕方がない。
小学生の頃、たまたまその視線の先に女の子がいた。
他意はなかったが、どんなに言い訳をしても、むしろ言い訳をすればするほど、私はその女の子のことを見ていたと思われてしまう。
最終的にその誤解が解けたのかどうかは知らない。
ただ、ボーっとするときは気をつけた方がいいという教訓は得られた。

しかし気をつけると言っても、気づいたらボーっと考え事をしているので防ぎようがない。
先日もボーっとしていた視線の先に女子高生がいた。
学生が年頃の異性を眺めているなら、可愛かったり青春だなと思ったりするかもしれないが、オッサンが女子高生を眺めていたら不審者に思われかねない。
幸い、そのときは何とも思われていないようだった。
やはりボーっとする場所は考えた方がいい。
だがよく考えると、心置きなくボーっとできる場所など、そうないことに気づく。
家には妻がいるし、仕事中はそんな暇などないし、通勤途中などは周りに人がいる。
一人の時間は限りなく少ない。

新卒で入った会社で、社内報に新入社員全員が自己紹介を書くとき、「なくては生きていけないもの」という質問項目があった。
「白米」とか「音楽」とか、皆それぞれ好きなものを書いている中、私は「一人で過ごす静かな時間」と書いていた。
空気はあえて読まなかった。
それが偽らざる本音であった。
今の私には、その「なくては生きていけないもの」が足りないのかもしれない。
心置きなくボーっとしていたい。
ボーっとするためだけに「精神と時の部屋」がほしい。