異呆人

毒にも薬にもならない呟き

Kさんの話②

syuten0416.hatenablog.com

 

平日の夕方、代々木体育館。

併設された小さな陸上トラックで、私はKさんの短距離走のトレーニングをすることになった。

とりあえず彼女の話から、その日、彼女の息子のサッカーチームの練習がそこであり、その合間に彼女がトレーニングをするということはわかった。

久しぶりに会うと、Kさんは相変わらずだった。

「久しぶり〜。元気?今、何してるの?今日は仕事は休み?」

こちらが質問に答える間もないくらいに、よく喋った。

そう、Kさんはよく喋る。

勝手に喋って、勝手に納得して、勝手に次に進んでいたりする。

私は一緒にウォーミングアップをしながら、自分の近況を話し、彼女の近況を聞いた。

 

Kさんはもう、以前一緒に勤めていた会社を辞めていた。

体調不良が原因だったらしく、それでしばらく入院していたらしい。

「まぁ、面白くなくなってきてたし、ちょうど良いタイミングだったけど」

彼女はあっけらかんとして言った。

いかにもKさんらしい。

「それで、体調不良が治って、なんでまた100mなんですか?」

「いや〜、やっぱり体力つけとかないとなぁと思って」

「それならジョギングとかの方が良くないですか?」

「え〜、長く走るとか無理。それに私、小学生の頃は短距離が速かったのよ」

「なるほど…」

事情は把握したが、まぁこのあたりも彼女の考え方を深く理解する必要はないだろうと思った。

 

トレーニングといっても、私も短距離はほぼ門外漢なので、大したことはしなかった。

基礎的な筋力トレーニングとか、柔軟性のトレーニングとか、動き方のトレーニングとか、そんなことをした。

最後に少し100mを流して(80%くらいの力で走って)もらったのだが、思いの外、速かった。

どうも、「昔、速かった」というのは本当らしい。

「オリンピック出れるかな?」と彼女が言うので、「本気でやれば、年代別の大会で入賞するくらいはできると思いますよ」と言うと、「じゃあ頑張ろうかしら」と言って、Kさんは嬉しそうに笑った。

そのあとKさんの息子のサッカー練習が終わり、最後に彼女は息子と100mで勝負したいと言い出した。

中学生の息子と100mで勝負したいなんて言う母親は、たぶん日本全国探してもそういまい。

Kさんの息子はすごく嫌そうにしたが、それでも母親に付き合った。

そして、嫌そうにしていたわりに息子は全力で走り、さすがに彼の圧勝となった。

「くそ〜、勝てないか〜」

「当たり前ですよ」

私はそう言って、笑った。

 

その後、Kさんと、息子と、Kさんのパートナーらしき男性と、4人でご飯を食べに行った。

マイクさんと名乗った40〜50歳くらいのその男性は、日本人とアメリカ人のハーフだそうだが、日本で生まれ育ったので中身は普通の日本人だと言った。

Kさんの息子の実の父親ではないらしい。

「Kさんはそうでもないんだけど、息子が可愛くってね」

マイクさんはそう言って、照れ臭そうに笑った。

ちなみにマイクさんは、どこぞのベンチャー企業で役員をしているらしかった。

「肩書きなんて、形だけだよ」

彼はそう言って笑ったが、たぶんそんなことはないだろう。

Kさん自身のことも含め、きっとそこには私が知らない世界が広がっている。

 

「Kさん、今、何してるんですか?」

「何もしてないよ」

「何も?」

「美容関係の仕事してる友達の商品を斡旋するみたいなことをしてるけど、お金もらってないからボランティアだね。だから、無職」

相変わらずKさんは、あっけらかんとそんなことを言った。

どうやって生活をしているのだろう。

まぁ、私が考えても仕方ない話ではある。

息子は酒を飲みながら話をしている大人たちの横で、退屈そうにゲームをしていた。

たぶん世の中の一般的な家庭像とは大きく離れた環境にいる彼は、どんなことを思いながら育っているのだろう。

 

その後、Kさんとマイクさんと、ビジネスの話などをした。

「朱天くんも何か自分でビジネスしたら?向いてると思うよ」

「そうですね、機会があったら。でも、私は普通のサラリーマンでも十分ですよ」

「あら、そう?もったいない」

自分で「普通」という単語を使いながら、きっと何が「普通」で何が「普通」でないかは、それこそ人の数だけ答えがあるのだろうなと思った。

私からすればKさんやマイクさんは「普通」ではないが、それはきっと本人たちにとってはどうでもいい話で、本人たちがそれでいいと思っているならそれでいいのだろう。


Kさんとは、その後、会っていない。

元気だろうかと心配する必要はないくらい、きっと元気でやっているだろう。