異呆人

毒にも薬にもならない呟き

Kさんの話①

前の職場にKさんという変わった人がいた。

私と同じ期の中途入社の女性だった。

齢は40くらいの人だったが、極めてナチュラルな化粧にも関わらず、パッと見て綺麗な人だなと思った。

同期は十数人いて、私を含めて変わり者揃いだったのだが、Kさんはその中でも特に変わっていた。

浮世離れしているというか、世間を知らないわけではないのだが、世間の基準とはまったく別の世界で生きているような人だった。

まず出社初日のオリエンテーションに遅刻してきたことが衝撃だった。

なんでも、道に迷ったらしかった。

入社のための面接とかで散々会社には来ているはずだったが、いつもと違うルートを選んで電車に乗ったらしかった。

「すいません、会社員って初めてなもので…。会社に行くっていうのに慣れてなくって…」

Kさんは申し訳なさそうに、しかし極めてさらっとそんなことを言った。

あとで聞いて知ったのだが、Kさんは外車のディーラーの会社を経営していたらしかった。

それを人に譲って当時の会社に入ったらしいが、なぜそんなことをしたのか聞いても、いつも「ん〜、なんとなく?」といったような答え方しかしてくれなかった。

それは本心だったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれないし、今もってわからない。

 

私とKさんは同じチームで仕事をした。

彼女はパソコンが苦手らしく、そこを私がいろいろサポートしていた。

憎めないタイプの人だった。

理に適わないことをするときも、さらっとする。

「すみませ〜ん」っと謝って、いつの間にかなかったことのようになる。

人に頼るのが上手い。

頼られると嫌とは言わない私などは、いいように使われる。

でもそこに嫌味ったらしさがない。

実に自然なのである。

相手との間合いの詰め方が抜群だった。

 

特に仲が良かったわけではないが、いろいろ話を聞いた。

中学生になる子供がいて、シングルマザーとして子育てをしていた。

子供をすごく溺愛していた。

離婚をしたわけでなく、最初から結婚はせずに子供だけ産んだらしい。

高級住宅街に住んでいて、かなりセレブリティな暮らしをしているようだったが、どうやって生計が成り立っているのかは不明だった。

父親にあたる人が養育費などを払っているのだろうか。

そもそも、なぜシングルマザーという選択をしたのだろうか。

いろいろ疑問に思うことはあったが、私は突っ込んだことは一つも聞かなかった。

理解を放棄してとりあえず彼女の現状を受け入れたら、少なくとも彼女はとても愉快な人だった。

言葉にできることなど、きっと高が知れている。

たぶんいろいろなことがあって、それを彼女なりにいろいろ考えて、そして選択してきたのだろう。

それを誰かに説明することに、どれほどの意味があるだろう。

少なくともKさんは、それを説明して周囲の理解を得る必要がないほど、強い人だったと思う。

 

私は当時の会社を1年足らずで辞めることになる。

辞めたあと、特にKさんとは連絡を取っていなかった。

いわばただの同僚である。

連絡を取りたいとも思わなかったし、取る必要もなかった。

しかし辞めてから1年ほど経ったあるとき、Kさんから突然メールが来た。

「100mって、どうやったら速く走れるようになるのか教えて」と書いてあった。

全然意味がわからない。

確かに私は陸上競技をしていたという話をしたかもしれないが、私は長距離が専門である。

そもそも、なぜ40歳を超えた女性が100mを走る必要があるのか。

なぜそれをただの昔の同僚である私に聞いてきたのか。

疑問に思うことは山ほどあった。

だがそれも「まぁKさんだから」と理解を放棄して受け入れることにした。

そして理解を放棄して受け入れた結果、私はKさんに短距離走のトレーニングをすることになった。

 

続く。