異呆人

毒にも薬にもならない呟き

幸福論

syuten0416.hatenablog.com

 

「結婚して幸せになりましたか?」と聞かれたとしたら、ノータイムで「いいえ」と私は答える。

そもそも幸せになりたいと思っていないし、幸せになるために結婚したわけではない。

「幸せって何ですか?」と聞かれて、即答できる人はどれくらいいるだろう。

もちろん、人それぞれに幸せを感じる瞬間というのは色々あるし、数少ない人もいればたくさんある人もいるだろう。

それはそれぞれ、「〜をしているとき」や「〜の瞬間」というものであって、状態ではないと思う。

だから私は冒頭の記事で書いたように、幸せというのは「快」の感覚に近い感情の一種だと思っている。

それは生きていると実感できるほどの強烈な快楽でなくていい。

心地良さや、じわっと「いいなぁ」と思える瞬間で十分である。

もちろん、その感覚の幅は人によって異なる。

 

だから「楽しむ」ことはできても「楽しい状態でい続ける」ということができないように、「幸せを感じる」ことはできても「幸せでいる」、「幸せになる」ということはできないと思っている。

幸せな瞬間もあれば、そうでない瞬間もあって、つまり人は自分の人生におけるその「快」の瞬間の総量を少しでも多くしようとするのだろう。

だから幸せを求めるということには際限がない。

幸せは湧いては消える。

だからもっともっととやっていると、欲望のままに幸せを求め続け、閾値が上がって最終的に幸せを感じられなくなる。

矛盾しているようだが、当然の帰結とも言える。

 

そうであるなら、一般的に存在する「幸せになりたい人」に必要なことは、「快」をどんどん求めることではなく、自分が幸せを感じられる閾値を下げることである。

「美味しいご飯が食べられて幸せ」、「友達と楽しくおしゃべりできて幸せ」、「仕事があって幸せ」、「屋根のあるところで寝られて幸せ」と挙げればキリがないが、自分が受け入れられる範囲で意識改革を行なっていくのだ。

人生には辛いことや苦しいことが多く、たぶん多くの人の人生においては「快」より「不快」の方が多いだろう。

その中で、小さな「快」を少しずつ拾っていくことが、幸せをできるだけたくさん感じる近道である。

もちろん、そんな地道でまどろっこしいことをしなくても幸せをたくさん感じられる人もいる。

環境や能力に恵まれていて、他人から見れば「チート」な人生を送っている人もいる。

だが、そもそもそんな人と自分を比較すること自体が、幸せを感じる閾値を上げているのである。

他人と比較しないことも、必要なことだと言える。

 

しかしそもそも、「快」を感じること、幸せを感じることは必要なことだろうか。

ないよりあった方が良いのは当然である。

しかしそれをできるだけ多くしようとする努力には、どれほどの意味があるだろうか。

ある意味、どんどん意識改革、つまり自己催眠をかけ続ければ、簡単に幸せの総量を増やすことはできる。

だが、生きることそのものには、「快」の総量、幸せの総量は何の影響も与えない。

つまり単に前向きに生きていくため、モチベーションとして、人は幸せを感じたいと思うのだろう。

生きていくモチベーションが底辺で、どうやったって浮上が見込めなさそうな私には、そこまでたくさんの幸せは必要ない。

そこら辺に転がっているものを拾い集めれば事足りる。

ゲームをしてれば楽しいし、菓子パンは美味しいし、ジョギングで充実感を感じられる。

これ以上、何が必要だというのだろう。

幸せなんて石ころレベルでそこら辺に在るのだから、わざわざ求めるほどのものではないし、辛いことや苦しいことも人生のスパイスくらいに思えるようになっているので、差し引いて消すほど「不快」を重苦しく感じているわけでもない。

 

だから「幸せですか?」と聞かれても、「幸せなときもあれば、そうでないときもある」以上に答えようがないし、「幸せなとき」を必要以上に増やしたいとも思わない。

まして、結婚がその幸せの総量を無条件に増やすものだとは思わない。

失うものと得るものを足して引いたら、トントンくらいなのではないだろうか。

「いやいや得るものの方が多いよ」という人もいれば、「いやいや失うものの方が多いよ」という人もいるだろうが、それはその人の感覚の問題であって、たぶんすごくニュートラルな状態で考えればさほど差はないと思う。

 

皆さんは幸せになりたいですか?

そもそも皆さんにとっての幸せって何ですか?

それがないと生きていけないですか?

生きていくのに必要だとしたら、どれくらいの量が必要でしょうか?

あまりに多くの「幸せ」を欲しているなら、それは「幸せ依存症」かもしれません。

病院に行く前に、来し方行く末を見つめ直すことをお勧めします。

大きなお世話、でしょうが。