異呆人

毒にも薬にもならない呟き

似た者同士か、足りないものを補い合うか

人生のパートナーを選ぶ基準として、自分と似た相手を探すか、自分にはないものを持つ相手を探すか、というのがあると思う。
前者は一緒にいて居心地が良かったり、楽だったりするかもしれない。
後者は自分にはないものを補い合ったり、そういうパートナーの存在が良い刺激になるかもしれない。
私はずっと、自分と似た相手が良いと思っていた。
性格が似ているかどうかということもあるが、それ以上に価値観が似ていてほしいと思っていた。
私はかなり虚無的な人間なので、素のままでは普通の人の生き方とは相反してしまう。
別に同じように虚無的であってほしいとは思わないが、そんな人間なんだと受け入れられる人であってほしいと思っていた。
加えて私は合理主義者である
感情論を意に介さないことも多い。
たぶん世の中の8割以上の人は、私と生活を共にするとかなり苦しむと思う。
仕事仲間や友人としてなら面白い奴ということで済むかもしれないが、パートナーには向かないだろう。
だから自分がニュートラルな状態でも受け入れられそうな人がいいと思っていた。

だが、実際にはそんな女性に出会ったことは一度もなかった。
ネットとかで同じ価値観の人を探せば見つかりそうだが、実際にふれ合う範囲ではまったくいない。
そんな価値観がわかるレベルまで交流していない可能性もあるが、だいたいそういう人は匂いというかオーラというかでわかるものである。
似たような感じであっても、その虚無感が依存性に繋がっていたり、女性性と相まって某弱さとして現れると、やはり違うなと感じてしまった。
そういうタイプのパートナーだと、私がサポートする部分が多くなってしまう。
できれば支え合えるような相手がいい。
まぁ、いわゆる高望みなのだろう。
望んでいるものが違うだけであって。

実際に妻となった女性はどうかと言えば、私とはタイプがまったく違う。
テンションやマイペースな部分は似ているので過ごしやすいが、彼女は感覚や感情優先で行動するし、概ね冷静さを欠いている。
割とせっかちな私に対して、悠長で優柔不断である。
私からすればイラっとすることが多く、彼女からすれば私がドライ過ぎて理解できないことが多いようである。
かと言って、足りない部分を補い合っているかというと、そうでもない。
生活力は低くないが、決して高くもない。
おかげで私の家事分担率は上がる一方である。
収入も倍くらい私の方が多いし、もし結婚を単にコストパフォーマンスで考えるなら、私の結婚は全然割に合わない。

それでも私が彼女をパートナーとしたのは、彼女が善良だからである。
何かをしてあげたいと思える相手で、してもらうことに甘んじない人間だからである。
人間の善良さというのはかなり差があるし、それは概ね幼少期までで決まり、長じてからではほとんど変わらない。
私にとっては、モラルハザードを起こしている人間が一番受け入れ難い。
それに私は何かが欲しくて結婚したわけではない。
もう何もいらないから、持っているものをすべて差し出すつもりで結婚したのである。

それに似ている、正反対と言っても、人間は元々それぞれ別の個体なのである。
ある尺度においては似ている2人でも、ある尺度においては正反対なこともあるだろう。
そういう意味では完全に似ている2人というのも、完全に正反対な2人というのもあり得ない。
だから、たぶん本当に必要なものは妥協である。
そして、パートナーが妥協するに足る相手かということである。
何が譲れて何が譲れないかというのもあるが、そもそも気持ち良く譲れる相手かということの方が大きい。
そうでなければ「私はこれだけ譲ってるのに…」という不満に繋がる。
まぁそれが、愛があるかどうかということなのかもしれない。