異呆人

毒にも薬にもならない呟き

スターではない人生に必要なこと

誰もが世界においてスターのような輝きを放てるわけではない。

人生というのは思うに任せぬもので、理想としていたり、希望しているような人生を送れるわけではない。

華々しい生活を送っている人だって、これまでずっとそうだったわけではないかもしれないし、これからもずっとそうだとは限らない。

結局、一生を通してどんな人生だったか判断できるのは、その人自身しかいないと言ってもいいだろう。

多くの人たちが私たちの目の前を通り過ぎるのは、その長い人生のほんの一コマである。

人の人生を見て羨んだり、「こうなりたい」と憧れるのは悪いことではないが、そもそも持っているものも環境も違うのだから、結局のところ参考程度にしかならない。

自分の人生は自分で決め、自分でその価値をつけていくしかない。

 

そもそも、人生なんて死んだら終いである。

どんな善人の人生も、どんな悪人の人生も、その人自身からすれば最後は無に帰する。

だから過度に肩肘張っても仕方ないし、逆に苦しいのを我慢していたって仕方がない。

人生のプラスもマイナスも死ねば綺麗にゼロになる。

結果的に0になる人生の過程にどんな起伏があろうと、大した意味はない。

それはその人自身が味わうスパイスのようなものである。

一般的な基準での楽しい人生、幸せな人生に越したことはないが、そうでなければいけないわけでもなければ、誰もがそんな人生を送れるわけでもない。

 

意味がないからこそ、人生というのは目の前にあるものがすべてである。

だから現状と理想のギャップを嘆くことに意味はない。

現状に不満があるなら、それを変えるか、受け入れるかしかない。

だが実際には、現状を変えるというのは簡単なことではない。

世の中には積み上げられてきた歴史があり、それをベースにした社会があり、そこにはたくさんの人が生活しているし、人類ではどうにもできない地球環境だってある。

1人の人間ができることには限りがある。

どれだけその考えが正論であったとしても、力がなければ現状は変えられないし、認めてももらえない。

 

現状から逃走するという方法もある。

そうすれば環境を変えることができる。

それも一つの選択肢ではあるが、リスクのある選択肢である。

より悪くなる可能性がないことはない。

環境を変えてから、それまで自分が置かれていた環境が恵まれていたことを認識する人も多い。

リスクを引き受けて環境を変えるなら、結果を受け止めるだけの覚悟を持っておくべきだろう。

私たちの目に止まるのは、ほとんどが成功例である。

無数の屍は、人の目に触れることすらない。

自分だけ違うと思うのは簡単で、必要なのは勝算を冷静に計算することである。

 

多くの人に求められるのは、可能な限り現状を受け入れることだと思う。

能力や機会に恵まれないのであれば、現状の中で足掻くしかない。

それは楽なことではない。

むしろ苦しいことである。

だから現状を受け入れるのに必要なのは、日常生活の中の小さな楽しみや幸せを見つける能力である。

考え方を変えることである。

理想と現状を比較するのではなく、現状を認めた上で、その中で自分に何ができるかを考えることである。

それは、少しずつ自分にとっての人生のプラスを拾い集めていく作業と言える。

最後は0になってしまうのだから、そんなに多くのプラスを作る必要はない。

自分がなんとか現状を受け入れ、生きていけるくらいのプラスがあればいい。

そうやってなんとかしのいでいるうちに、終わってしまうくらいがちょうど良いと思う。