異呆人

毒にも薬にもならない呟き

夢を見なくなった

年々、夢を見ても思い出せなくなっている。

夢を見ていた、という残滓だけが、起きたときに、まだある。

起きた瞬間くらいには、起きる直前のシーンは頭にあるが、どんな経緯でその最後のシーンに至ったかは思い出せない。

そして起きてから時間が経つにつれ、まったく思い出せなくなる。

先日も、「あっ、今、夢見てた。面白かったから記事にしよう」と思ったのだが、すぐに思い出せなくなってしまった。

朝の忙しい時間に、すぐに文章におこす余裕はない日だった。

その翌日も夢を見たのだが、同様にすぐ思い出せなくなった。

かろうじて覚えている最後のシーンは、何かの競技会で女子高生が「去年の先輩の雪辱を果たします!」と宣言しているシーンだった。

脈絡がないと、まったくなんの話なのかわからない。

 

私の見る夢は大体セピア色である。

子供の頃はずっと、夢はフルカラーだと思っていた。

いや、見ているときはフルカラーのような気がするのである。

だが、起きて思い出すときはセピア色になっている。

「見てるときからセピア色だったんじゃない?」と思えるようになったのは、わりと最近だったりする。

 

小さい頃は寝る前に、できるだけ楽しい想像をした。

将来こんな職業に就きたいだとか、あれが食べたいだとか、これが欲しいだとか。

長じてからも、陸上のレースで活躍しているイメージだとか、仕事が上手くいっているイメージだとか、急に大金が転がり込んできたらどうしようだとか、そんな夢みたいなことを考えながら寝ることは多かった。

そんなことでも考えていないと、もっと重たい思考が頭を支配して眠れなくなる。

最近はそんなことはしていない。

見たい夢がなくなった。

今の現実が大きく変わって、自分の人生が飛躍するようなイメージが持てなくなった。

それは本当はずっと昔からそうだったのだが、未来とは今と地続きの部分に存在するのである。

生きるほど、道を歩くほど、行ける先は限られてくる。

そんな思考をして「自分の可能性を狭めている」と思えたり、もっとポジティブな思考を持てたりするほど、私は脳内がお花畑な人間ではない。

取れるリスク、期待できるリターン、冷静に計算すれば、もうどうにもならないものなのである。

そのどうにもならない現実に目を瞑ることは、未来を殺してしまうことにつながる。

 

そうやって夢想する機会がなくなったから、夢を見ることも減ってしまったのかもしれない。

20代前半の仕事に追われていた頃は、仕事に関する夢とか、遅刻してしまう夢とか、そういうものを結構見たが、ある程度仕事をコントロールできるようになった今は、そんな夢も見なくなった。

もしかしたら、夢を見なくなることは良いことなのかもしれない。

海が凪いでいるのと同じ状態なのかもしれない。

平穏無事、これ一番。

ただ本当は夢を見ないことより、もう目覚めない日が来るのが一番嬉しいんだがなと、今でもまだ思ってしまう。

生きるのって、めんどくさいねぇ。