異呆人

毒にも薬にもならない呟き

好かれる理由

先日、登録していない携帯番号から電話があった。

しばらく鳴るので出てみたら、新潟で仕事をしていた頃の取引先の人だった。

もう使わないからと、スマホに変えたときに登録しなかったかもしれない。

何の用事かと思ったら、「今度、沖縄に家族と旅行に行こうと思うんだけど、時期はいつがいいかな?」という相談だった。

私が沖縄で暮らしていたことがあることを覚えていたらしい。

仲は良かったかもしれないが、会社として付き合いの深い取引先で、私が担当していたわけではなかった。

わざわざ電話してくるほどの用ではない気もするが、電話して聞いてもいい相手だと思われることは悪いことではないだろう。

そういえば、あの会社を辞めて6年になる。

この人と話をするのも6年ぶりくらいだと思う。

 

また、別の新潟時代の取引先の人からもSMSが届いた。

「今週、東京に行くから飲みに行きませんか?」という内容だった。

この人とは辞めてから、東京で何度か飲みに行ったことがある。

さほど仲が良かったとは思わないが、この人が資材発注担当になってから、当時の会社と取引量が多くなった。

私はその取引開始の際の営業担当だったのだが、すぐに後輩に担当変更になったので、正味半年くらいしか仕事の付き合いもしていない。

だが取引を増やしてもらうために私がちょっと強引な安値の見積りを出したのと、その後の特注品の対応で尽力したせいで、印象に残ってしまっているようである。

「朱天さんが担当じゃなかったら取引増やさなかったし、あれ以来、朱天さん以上の営業の人はいないよ」と、辞めてから飲みに行った席で言われた。

私としてはできることをしたまでだが、相手にとっての受け止め方は違うようである。

そんなものかもしれない。

また、例年なぜか社員旅行にご一緒している取引先からも、「今年も」と連絡があった。

いい加減、今の担当でも呼べばいいのにと思うのだが、これもまぁそんなものかもしれない。

 

それ以外でも前々職や前職の知り合いの人たちとは、ときどき会ったり連絡をもらったりする。

仕事の付き合いがなくなってから個人として付き合いが続くのは、営業ならではかもしれない。

不思議な感覚である。

私は基本的に人間関係は「来るもの拒まず

、去る者追わず」なので、自分から連絡を取って関係を維持しようとすることはない。

「縁があったら、また会うでしょう」くらいに思っている。

そのくらいのスタンスを心地良いという人は多いらしく、だから私みたいな人間が好まれるのだろう。

それ以上の理由はわからない。

私はそれなりに他人の気持ちに敏感なので、好意を持たれていることはわかるのだが、なぜ好意を持たれるのかはわからない。

もっと一緒にいて楽しい人はたくさんいるだろう。

 

閑話休題

最近、周りに対してキツいことを言い過ぎているかなと反省している。

いや、厳密に言えば直すつもりはないので、反省しているというより思い至っていると言った方がいいかもしれない。

私はオブラートに包むようなことをしない。

薬は苦いほど効き目があると思っているタイプである。

加えて皮肉屋である。

挙げ足取りはしないように心掛けているが、隙を見つけるとチクリと刺したくなる性分である。

だから多分こうやって自分で認識している以上に、他人にはキツい人間だと認識されているかもしれない。

特に妻と暮らすようになってからは、彼女の柔らかいメンタルに配慮しながら生活しているので、そういった自分の性格を思い知らされる。

 

そんなことを職場で呟いたら、同僚たちが「いや、でも朱天さんのキツさには愛がありますから!」と、フォローしてくれた。

いわく、私のキツい指摘というのは誰かのためを思って言っているもので、悪意がないから素直に耳を傾けられるらしい。

まぁ確かに、誰かを貶めようとか、自分の意見を通そうと思って発言しているわけではない。

「こうあるべきじゃないか」、「こうした方がいいんじゃないか」と思う意見を言っているだけである。

本心でそう思ってくれてたら嬉しいなと思いながら、でも「キツい」というところは否定しないんだなと思った。

まあ、「キツい」と言っても責めるような言い方をしているわけではなく、遠慮なく痛いところを突くというだけなのだが。

何にせよ、自分は自分が思っている以上に、他人からは好意的に思われているのだと感じた数日だった。