異呆人

毒にも薬にもならない呟き

「好き」という気持ちがわからない

日常生活の話をすると、時々「奥さんのことが大好きなんですね」と言われる。

特に女性から。

確かに私は朝、妻の分まで弁当を作ってから出社しているし、先に帰れば買い物と夕飯の準備をする。

洗い物はほとんど私、掃除と洗濯は半々くらいの分担である。

そもそも住む場所も妻の通勤に配慮して私は片道1時間半近くかけているし、妻の実家にもよく顔を出すようにしている。

プレゼントもよくするし、妻の要望の大半は受け入れている。

世の中の多くの人の基準からすると私が譲り過ぎているように思われるようで、過剰な負担は愛情で補われていると思われるようである。

別に面倒なので否定はしないが、そういうわけでもない。

私には世間一般で言う恋愛感情はない。

 

愛情というのは、見返りを求めずに誰かに何かをしてあげたいと思うことだと思う。

その意味において、私は妻を愛しているし、同様に友人や家族や同僚を愛している。

その愛情の大きさに多少の差はあれ、妻に対する愛情が特段大きいわけではない。

もし私が他の誰かとの約束より妻との約束を優先することがあるとしたら、それは愛情の大きさによるものではなく、彼女が配偶者という序列の高い位置付けの存在だからである。

逆に言えば、最も序列の高い配偶者として、私が愛情を尽くしてもいいと思える女性だから結婚したのである。

それをして「好き」だと言うのならそうなのだろうが、他人の話を聞いて出てくる「好き」に触れるたび、自分には同じような感情がないなと思わされる。

 

独占欲というか、所有欲というか、一緒にいたいとか、自分のことを考えていてほしいとか思わない。

もし彼女の前に、私と一緒にいるより良い選択肢が現れるなら、私は喜んで応援してあげたいと思う。

私は妻の善良さを最も好んでいるが、だからこそ単純に幸せになってほしいと思う。

どうせ結婚するなら妻のような女性がいいとは思うが、妻と出会って結婚したいと思ったわけではないし、もし障害があったなら諦めていたと思う。

若かった頃、思考がどんどん純化されていく過程で、私の中から一般的な「好き」という感情は消えていった。

だから愛情と性的欲求と「かわいい」という容貌に対する評価を、明確に分けて考えることができる。

 

恋人がほしいと思ったことはないが、結婚したいと思ったので妻を選んだ。

だから妻が今のところ、私にとって最初で最後の恋人だと言える。

それはロマンティックな意味などまったくなく、単なる事実である。

妻への献身も半分は愛情からだが、もう半分は夫としての責務だと思っているからである。

良き夫であろうとしているだけだ。

結婚式でわざわざ宣誓するではないか。

私はその任務を忠実に遂行しているのである。

むしろそうでない妻や夫の方が、おかしいのではないかと思う。

もし配偶者に対する気持ちが冷めるようなことがあるなら、それは一時の感情に流されて一緒になることを決めてしまったせいだろう。

性的欲求とか容姿とか、そういったものに心を奪われて判断を誤ったと言えるのかもしれない。

そういう意味では、私は世間一般の恋愛感情を持ってなくて良かったのかもしれない。

まぁ、それと結婚という判断そのものが良かったかどうかは、別の話ではあるが。