異呆人

毒にも薬にもならない呟き

仕事は仕事

10連休明けからの12連勤というカウンターパンチを見舞われている。

土日に休日出勤で岩手に行くことになり、忙しくて振替休日が取れそうにないので、2週間が繋がってしまった。

ちなみに、先日記事にした大きな仕事はなくなってしまった。

大きな仕事 - 異呆人

土俵際、他社に強烈なうっちゃりをかまされたようである。

あてにしていた上層部は大慌てで、予算の修正とか方針転換を迫られ、臨時の会議まで開かれることになった。

まぁここまで上手く運べた方が幸運だったわけで、正面から四つに組んだら勝てないことは初めからわかっていることである。

むしろ、危機感が出ることは好ましい。

私は危機感を煽るような進言しかしていないが、それでもまだ足りないと思っている。

 

連休明けの仕事を嫌がる人は多い。

私も嫌である。

まぁそれを言えば、仕事そのものがしたくないが。

それでも、憂鬱に感じたりはしない。

もちろん、連休中に溜まった仕事を見るのは憂鬱である。

今回は私が休みの間、誰も対応しなかった仕事があり、それがクレームになりかけていてさらに憂鬱だった。

だがそれは休み明けに仕事をすることが憂鬱だというわけではなく、単に休み明けが仕事の量が多いから鬱陶しいだけである。

別に特段、連休明けブルーに見舞われることはない。

そもそも、本当に嫌な仕事なら仕事にすらしていないし、それを仕事として許容できるから仕事にしているのである。

うだうだ言ってたって働かなくていい身分ではないのだから、黙ってさっさと仕事を進めた方が精神衛生上も良い。

 

仕事は仕事だと思っている。

趣味ではないし、遊びではないし、生きがいでもない。

金を稼ぐための手段であり、飯を食ったり寝たりすることと同様の日常生活の一部である。

金を稼ぐ必要のない人なら働かなくてもいいだろう。

そういう身分にありながら仕事をする人にとっては、仕事は道楽のようなものかもしれない。

残念ながら私はそんな身分にないので、金を稼ぐために仕事をしなければならない。

やりがいはあった方がいいし、心身に悪影響を及ぼすような業務や環境であるなら問題だが、基本的に給料以外のやりがいや楽しみを求めるのは贅沢だと思っている。

どう捉えるかは個人の自由だが、私はそう思う。

「仕事が楽しい」というのは必要条件ではなく、偶然のマッチングによって生み出される奇跡である。

起こり得ないことではないが、誰の身にも当たり前のように起こることではない。

一部の幸運な事例が広く共有される世の中だからこそ、そう見えるだけである。

 

ただ、ポジティブなモチベーションを仕事に求めることは悪いことではない。

それだけ仕事というのは大変なものだからである。

大変だから、少しでも前向きに取り組めるように良いところを探すのである。

それは社会的な意義だったりするかもしれないし、「自分でなければ」という矜持だったりするかもしれないし、職場に可愛い女の子orイケメンがいることだったりするかもしれない。

それを探すことは大切だが、それを前提とすることとは違う。

基本的に、仕事というのは楽なものではないのが前提である。

それでも生活のためには働かないといけないし、どうせ働くなら辛いだけより良いことがあった方がいい。

その程度のものだと思っている。

リクルートのために必要だったりするとはいえ、あまりに社会全体が仕事に対するポジティブなイメージを発信し過ぎている気がする。

そんなイメージを植え付けられるから、若者は現実とのギャップに困惑し、離職率が上がるのである。

入り口だけ作れればいいと思っている、社会全体の過失だと思う。

まぁ、我慢して仕事をするうち、あるいは転職を繰り返したりするうち、現実を知ったり妥協点を見出せたりするものなのだが。

もちろん、夢に向かってチャレンジしたりするのは個人の自由である。

自分の人生の責任をひと抱えにして、精一杯羽ばたいてみるのも一興だろう。

 

さて、大きな仕事はなくなったが、それ以外にやるべきことは、元々山積している。

今週と来週は、愛知、岩手、九州、京都と、文字通り東奔西走。

12連勤中の予定は、連休明けの出社日にすべて埋まってしまった。

たまには気合い入れて踏ん張りますかね。

頑張った暁には、何かご褒美が欲しいところである。