異呆人

毒にも薬にもならない呟き

ムードがないと2回戦はできない

私は自分が性欲の強い方ではないと思っている。

20代半ばまで童貞でも何とも思わなかったし、セックスを目当てに女性と付き合いたいとも思わなかった。

性欲がないとか、弱いというつもりはない。

比べようがないのだが、普通だと思っている。

少なくとも自分でコントロールできるレベルではあるし、セックスは他のいろんなやりたいことや、やるべきことのうちの一つという位置付けである。

したいとは思うが、しないならしないで、自慰で処理しておけば十分である。

 

だからセックスをするかしないかは、主に妻のテンションで判断している。

これはまぁ、空気感みたいなものである。

いちゃいちゃはしたがるので、どこまで応じるか手を出しながら判断するのである。

妻がしたがっているかどうかはわからないが、カマをかけられているのに私が応じないという構図は避けたい。

「私がしたがらない」というのは、デリケートな妻に余計な不安を与える可能性がある。

めんどくさいのだが、人間関係なんて概ねめんどくさいものだし、距離が近いなら尚更めんどくさいものなのだと、最近は思うようにしている。

そういう心遣いは、どんな人間関係においても円滑をもたらす。

 

さておき、たまに妻が「2回戦」をしたそうにすることがある。

基本的に、私はそこまでしたいと思わない。

実際に、できないことの方が多い。

女性がどう思っているのか知らないが、1回果ててからもう1回復活するのは、すごく難しいことである。

体調とか、気分とか、いくつものハードルがクリアできなければ、2回戦はできない。

他の男はどうか知らないが、私にとってはそうである。

そんなクリアすべきハードルの中で最も高いと私が思うのは、雰囲気である。

雰囲気というより、ここは「ムード」とカタカナを使った方がいいかもしれない。

これは何も2回戦に限らないのだが、私は「ムード」がとても大事だと思っている。

 

妻はとても子供っぽい。

自分でも、そう言っている。

だからベッドの上でも、子供が親にじゃれつくようにしてくる。

遊んでいるみたいである。

これを可愛いと思えるうちはいいのだが、1回果てた後などは鬱陶しく感じる。

「遊んで、遊んで」とせっつく子供に「よし、じゃあ遊ぶか!」と快活に応じられるうちはいいのだが、休日疲れ切って寝ているときに同じことをされると「うるさい!」と応じてしまうのと同じである。

だから、妻が物欲しそうにしながらも余計なことをせず、なおかつ私にやる気があるというレアなケースでしか、2回戦のフラグは立たない。

そんなこと、1年に1度、あるかないかである。

 

昔、風俗に行っていたときも、2回戦を求められても応じられないことがほとんどだった。

そんな中で、1人だけ成功したことがある。

そのときは相性が良いのか何なのか、全然もちそうになかった。

「長くはもちそうにない」と伝えると、その女性は「いいよ。だって、何回でもできるでしょ?」と笑顔で言った。

その言い方がとてもエロティックで、そのあとの2回戦までとても楽しかったことを覚えている。

ツボを心得ているというか、とても上手に雰囲気を作るものだなと思った。

 

このムードというのは、1人で作るものではない。

どちらかが頑張っても、どちらかが的外れなことをすれば、ムードは途端にぶち壊される。

どうしたいかという意思が、同じ方向を向いていないと作れないのである。

これはセックスに限らず、一般的な人間関係でも同じことが言えるかもしれない。

自分の「やりたい」を一方的にぶつける人は結構いる。

自分のやりたいこと、相手のやりたいこと、それらを踏まえ、どうやって「一緒に何かをする」というムードを醸成するかが、大事なことなのではないだろうか。

自分の意志を貫くことと、他人の意見を聞かないことは違う。

海の向こうの「俺様」の指導者たちって、きっとムード作りが下手くそだと思う。