異呆人

毒にも薬にもならない呟き

心の動きが読めること

結婚してこの方、とても妻に気を遣っている自分に気づく。

「気を遣わないでいい相手」だと思ったのが妻を選んだ理由の一つであり、それはたぶん他の多くの女性と比較して間違いないことではあるのだが、どうにも私の性分の問題らしい。

結局、本当に気を遣うのが面倒なら、ずっと一人で生活するしかなかったということだろう。

後悔するほどの何かがあるわけではないが、新しい事実に気づかされたような複雑な気持ちではある。

 

私は相手の思考を読むのが得意である。

それは当然ながらエスパー的な能力ではなく、単に観察力から導かれる推論の集積と言える。

幼い頃は、たぶん比較的厳しく躾けられたので、とにかく怒られるのが嫌だった。

褒められたかった。

だから相手の顔色を伺うことばかりしていて、結果、それが相手の考えていることを読み取る能力につながっている。

「怪我の功名」ではない。

相手の気持ちがわかって、良いことばかりではない。

というより「知らぬが仏」とはよく言ったもので、気づかない方が気持ちよく過ごせるだろうなと思うことも多い。

むしろ、そんなことの方が多い気がする。

少なくとも、面倒なことは少ないはずである。

 

幼い頃の私は、この観察力と推察力と無駄な正義感が高く、そのせいで最終的に自分自身を大きく変えてしまうほどの深手を負うことになる。

それ以後は、積極的に相手の気持ちを汲まないようにしてきた、つまり「あえて空気を読まない」でおくようにしてきた。

しかしそれは「相手の気持ちがわからない」のではなく、「気持ちは推察できるが無視する」ということである。

それは、口で言うほど容易くはない。

一度意識に入った情報は、意識的に無視しようとしても、意識下で行動を制約する。

いろんな状況に遭遇し、試行錯誤を重ねていった結果、そのことに気づいた。

だから20歳前後くらいからは、自然体で生きている。

わかってしまう相手の気持ちをどうするか、そのときの状況や気分で判断する。

積極的に汲んで先回りして、物事がスムーズに運ぶように仕込むこともあれば、あえて無視して傍観に徹することもある。

知ってしまうことを、知らないことにはできない。

ただし、知らないフリをすることはできる。

知らないフリをすることに良心の呵責が生まれるなら、それは相手の気持ちを汲むべき状況である。

知らないフリをする方が状況が良くなると判断するなら、そんな良心の呵責は生まれない。

 

相手の気持ちがわかると、人に好かれてしまう。

「居心地の良い相手」と認識される。

それはある意味当然で、相手の動きを見て、私が自分の動きを変えているからである。

サッカーで言えば、味方のポジションを見て、自分のポジションを変えるようなものである。

そして「パスがほしい」と思うときにはすでにパスを出しているし、「ここにいてほしい」と思う場所にはすでに走り込んでいたりする。

「勝手に周りに人が集まって羨ましい」と言われたりするが、それは私が周りの人に特別何かをしてあげているからではない。

ある程度まで「オート」で行われる相手に合わせる機能が、十分以上に働いているというだけである。

 

相手の心の動きを読むことが観察力の賜物であるからには、私は常に膨大な周囲の情報を読み取り続けているということになる。

「よく見ている」、「よく聞いている」と言われるが、無意識に情報を取り込み続けるのである。

そして記憶力が良い私は、その膨大な情報を覚えてしまう。

そのビッグデータの分析が、相手の心を読むことにつながる。

インプットが膨大なので、私はこうやって大量の文章にアウトプットする。

そうしないと情報が整理されず、結果的にバランスが取れなくなる。

思考に一旦区切りをつけるために書く。

 

ほぼオートでやってるくせに、これはとても疲れる作業なのである。

エネルギーを消費し続ける。

残念ながら、私はエネルギー量も膨大なので、それに耐えてこのスキャニングのような作業を続けられてしまう。

だから、普段家で接する妻には、できるだけ私がエネルギーを使わないように、思っていることや要望は言ってほしいと思うのである。

これは付き合った当初に、私が妻に唯一お願いしたことである。

気持ちはわかってしまうが、それが正しいかとか、どの程度汲むべき要望なのかとか、せめてそういった推察をしないでいいようにしてほしいのだ。

できるだけ応えてくれているとは思うが、やはり人間、気持ちを溜め込んでしまうものである。

だから伝えてくれない気持ちの余白を、私はせっせと読み取ろうとしてしまう。

つまりこの機能を使わないためには、結局一人でいるしかないのだ。

 

だから私はずっと一人だったし、家にはテレビを置かなかったし、静寂や暗闇が好きだったのだ。

と、今更ながらに辻褄が合うことに気づいてしまう。

まぁ、エネルギーをフル使用できるのは、都合の良い部分もあるのだが。

ままならないもの、矛盾みたいなものを抱えて、人間は生きていかないとならないのだなと、これもやはり今更ながらに思ってしまう。