異呆人

毒にも薬にもならない呟き

祭りが嫌い

妻と花火大会に行った。

今住んでいるところの近く、歩いて10分程度の漁港で行われる。

首都圏の数ある花火大会の中ではそれほど大きいわけではないが、それでもそれなりに人出はある。

会場まで歩いていくこともできるが、人が多そうで嫌だったので近くのビーチにレジャーシートを敷いて見物することにした。

ビーチに屋台はないので、見物しながら食べるものや飲み物は、スーパーで何か買っていこうと思った。

妻と一緒にスーパーまで歩く。

花火会場に向かう人波と逆行する形になったので、歩きにくくて鬱陶しい。

普段からまずまず混雑する最寄駅は、途中通ると浴衣を着た男女らでごった返していた。

自分がみるみる不機嫌になっていくのがわかった。

私は人混みが嫌いだ。

できればこういうイベントには参加したくない。

妻はそんな私の胸中を知ってか知らずか、手を繋いだりベタベタしたがった。

手だけ差し出し、黙々と歩く。

暑さが不快に拍車をかける。

 

スーパーでは北海道の物産展が開かれていた。

それを見て、妻がザンギを食べたがった。

確かに美味しそうだが、100gで380円と尋常でなく高い。

一瞬、逡巡したが、イベントだし、特別出費と自分に言い聞かせて買うことにした。

4個入りで、約1000円。

妻は値段を聞いて驚いていた。

どうやら事前に計算できなかったらしい。

1個250円の唐揚げとか、たぶんこれに懲りて二度と買わないだろう。

ザンギを買った瞬間、妻は私の機嫌が悪くなっていることに気づいたようだった。

高い買い物をしたことに不機嫌になったと思われたらしく、ザンギについて「高いけど、美味しそうだよ!」と精一杯ポジティブに考えていた。

こちらはもう割り切っているから、ザンギのことは構わないのだが。

他には巻き寿司2つと枝豆、私用のビールを2本と妻用のジュースを1本買った。

あとは家で余っていたキュウリ、水筒にお茶を入れて持って行った。

 

少し早い時間に着くと、ビーチはまだまだ空いていた。

適当な場所にレジャーシートを広げ、潮風を浴びながら、キュウリを齧ってビールを飲んだ。

ザンギは美味しかった。

でも、もう二度と買わない。

家で作れば、同じ値段で何倍もの量が作れるはず。

妻は日が暮れるまでは、波打ち際に行ってバシャバシャやっていた。

私はレジャーシートに座ったまま、そんな妻やあたりの人々を眺めていた。

浴衣姿の若者が多い。

ただビールを飲んでダラダラしてる自分は、ずいぶんオッサンになったなぁと思った。

肝心の花火は綺麗には見えなかった。

場所は良かったが雲が多い天気で、高く上がった花火は霞んで見えた。

それでもやはり、夜空に派手に火花が舞い散ると、夏だなぁという感じはする。

花火が打ち上がる時間になってもそこまで混雑しなかったし、歩いて行ける距離なので、都合がつけば来年も来てもいいなと思った。

 

先日の平塚での七夕まつりに行ったときも感じたが、私はどうも祭りが嫌いらしい。

祭りが嫌いというより、浮かれた人間を見るのが嫌いなのだ。

妻の地元のお祭りは神事でもあるし、地元の人しか参加しないので嫌気は感じなかった。

本当に、ただ浮かれた人が嫌いなだけ。

「旅の恥はかき捨て」ではないが、「今日だけは許される」みたいな、あの空気感が嫌。

祭りというだけで無条件に楽しそうにするのが理解できなくなっている。

かつて人嫌いになっていたときは、笑顔で街を歩く人を見るだけで虫酸が走ったことがある。

自分が生きているこの世界の、何が楽しいのかまったくわからなかったのだった。

今はもうそこまでではないのだが、祭り嫌いはそのときの名残かもしれない。

 

それは結局、羨ましいというだけなのだ。

自分が楽しそうにできない、楽しくないことからくるやっかみである。

余計なことを考えず、欲求に素直に生きられたら楽しいのだろうなと思う。

まぁ、本気でそうなりたいと思っていないから、このままなのだが。

知ってから、理解してから、知らなかったことにはできない。

引き返せないから引き返す気もないし、わかっているから引きずってでも前に進むのである。