異呆人

毒にも薬にもならない呟き

平等でも公平でもない世界で

世界は平等にも公平にもできていない。

人間だって生まれたときから、人によって様々なビハインドを背負う。

生まれつき四肢がない場合もあるだろうし、貧困家庭に生まれることもあるだろうし、紛争地帯に生まれることもあるだろうし、生まれて3日で死ぬこともあるだろう。

世界は平等とか公平とか、そんな小難しいことは考えてくれない。

あるがままである。

世は弱肉強食。

力の強い者は弱い者を虐げることが可能だし、包丁を握って突進してくる相手に説法するのはバカのすることである。

美女やイケメンは持て囃されるし、見てくれが悪いと待遇も悪くなったりする。

それは世の摂理である。

孔雀は羽を広げて、己の美しさや大きさをアピールする。

もちろん、より美しかったり、雄大だったりするものが交配の相手として選ばれる。

人間も半ば同じで、つまりは生物としての本能がそうさせるのである。


ただし人間は知恵が回るので、力が弱くても美しくなくても、生きていけるようにできている。

平等や公平という発想は、いわば弱い立場にある者が身を守るための盾である。

人間は寄り集まり、力を合わせて、より力の強い者に立ち向かってきた。

そうして自分たちの主張を通してきた。

いわゆる民主的な社会というのは、立場の弱い人間の数の力によって生まれたと言える。

そして弱い立場の人間が主導権を握ったとき、自分たちの身を守るために考えた概念が平等や公平だと言える。

平等や公平が理想的だというのはその通りだと思うが、それが世界の自然な状態ではない。

それらは力と力のバランスの上に成り立つ幻想である。

つまり、あてにならない。


だから与えられた条件で、生きていくしかない。

その条件は時代とともに少しずつ変えられるようになってきているが、それでも大きくは変えられない。

所詮は枠の中での足掻きである。

そういうものだと割り切ること、諦めること、受け容れることが大切だと思う。

自分に与えられたビハインドを嘆いても仕方ない。

今の手持ちのカードで、どうすれば人生ゲームを少しでも有利に進められるか考える方が建設的である。

本当にすべてのスタートを横並びにしたいなら、遺伝子から揃えて皆同じ人間にしてしまえばいい。

そのうち可能になるだろう。

ただ、自然な状態でそうなっていないのは、多様性がある方が人間という種全体で見れば有利だからである。

そこに個としての人間の都合は考慮されていない。

それが世界の姿である。


世の中の平等や公平というのは、力により勝ち得られてきたものなのに、元からそうであるかのように勘違いしている人がいる。

絶えず努力して、維持しなければならないものすらあるのに。

例えば男女平等一つとっても、元々男女に平等な要素なんてほとんどない。

今の社会的な不平等や不公平も、生物的な能力の違いや社会的な役割の違いによって形成されてきたものである。

それは是正する必要がないという意味ではなく、違うものを無理矢理合わせるのだから、それだけの力が必要だということである。

勝ち得なければならない。

欲しいのなら、戦わなければならない。

口を開けて待っていれば手に入るものなんて、ほとんどない。

それが面倒なら黙って現状を受け容れていればいい。

それが悪いことだとも思わない。


ただ不満だけ垂れ流す人間にはなりたくないなと思う。

人生なんて、戦って死ぬか、坐して死を待つかのどちらかである。

どちらかを選ぶ賢明さくらいは、持ち合わせていたいものである。