異呆人

毒にも薬にもならない呟き

かつての上司の退職

私は日経新聞を購読している。

読み始めた当初は、仕事で使えるビジネスの話題集めに便利だったというのが理由だが、今の仕事では日経で得られる情報はほとんど役に立たない。

経済には興味があるので、今は半ば趣味のようなものである。

その日経新聞には人事の欄がある。

人事異動というのはビジネスにおいてとても重要で、ピンチにもチャンスにもなる。

取引先の役員が変われば取引の方針が変わるかもしれないし、同業他社の幹部が変われば攻め方が変わってくるかもしれない。

日経では東証一部上場企業の主要人事を掲載している。

ただしこちらも今の仕事では取引先に上場企業なんてほとんどないので大した重要性はなく、何となく眺めるだけになっている。

 

先日、その人事の欄に古巣の名前があった。

新卒で入社した会社である。

目を通すと、お世話になった役員のKさんの退職が報じられていた。

私がいたころは、東部地区の統括部長で役付きという、部長の中でも特別待遇の人だったが、その記事では専務として退職していた。

その会社はオーナー企業で社長は創業者一族だったので、専務というのは一番の上がりである。

そこにいた時から尊敬していたが、やはりすごい人だなと思った。

 

私はその会社に入社したときに新潟に配属となり、新潟は長岡で3年間を過ごした。

その会社では新潟は東部地区に分けられていて、Kさんもときどき様子を見に来ていた。

私がいたとき、すでに60歳近かったはずである。

偉そうな感じはないのだが、年季の分だけ圧を感じさせるオーラのある人だった。

何というか、現場を渡り歩いてきた風格のような、踏んできた場数が違うという雰囲気のようなものを感じさせる。

何度か同行営業もしたが、指摘は鋭く、もうろくしたようなところは全くない。

本質を見る目を持っている人だなと思った。

茶目っ気のある人で、私がいる間、リーマンショック前に一度だけ催された社員旅行では、とても陽気にお酒を飲んでいた。

また自ら自転車のツーリングを企画し、私も誘われたのでほぼ毎回参加した。

フルカーボンのロードバイクに乗っていたのが印象的だった。

仕事に関しては厳しいが、面倒見のいい人だったと思う。

 

私が辞めると言ったとき、上司がKさんに連絡したらしく、常駐している埼玉から新潟まで、その日のうちに車で走ってきてくれた。

Kさんは、まったく使えないが予算配分の関係で新人賞を取ってしまった後輩と、まったく使えないが課長待遇の先輩の名を挙げ、「あいつらより待遇が悪いことが癪か?」と言った。

それは半分くらい当たっていたが、新しいことをしたいというのが残り半分だった。

Kさんは「待遇は規定以上のことはできん。新潟が嫌だと言うなら、異動はできる限りのことはしてやる」と言った。

はっきりしていてわかりやすい。

Kさんも私の性格はわかっていたのだろうから、精一杯の条件を出してダメなら諦めるつもりだったのだろう。

結局、私はその会社を辞めることにした。

Kさんとは、それ以来連絡は取っていない。

 

お世話になったお礼もきちんと言えていなかったので、その記事を見て、心の中で「お疲れ様でした。ありがとうございました」と思った。

少し感傷的だが、こういうのはすべて自己満足である。

つまり私にとっては、私の中でどう処理されたかが大事なのである。

 

あれから私は結局営業の仕事しかしていない。

Kさんのような風格はまだないが、場数は随分と踏んできた。

少し歳をとってあらためて思い返して、仕事人としてはああいう歳の取り方をしたいなと思う。