異呆人

毒にも薬にもならない呟き

料理当番

先日、妻の友人がランチョンマットを作ってくれた。

食卓の食器の下に敷くやつである。

手作りだったがとても上手な作品で、洒落ているのに温かみがあった。

妻は喜んでその上に料理を並べ、それを写真に撮って義父にLINEで送った。

義父はランチョンマットについてはコメントせず、「料理、頑張っているじゃないか」と返してきたらしい。

しかし残念ながら、その日の料理は私が作ったものだった。

ぶり大根、ジャーマンポテト、サラダ、味噌汁。

食べ合わせは考えないので、和食と洋食が混在したようなメニューである。

私は作る料理を、その日安い食材と、その日の気分で決める。

ぶりがタイムセールで半額だったからぶり大根にし、新じゃがが安くて美味しそうだったのでジャーマンポテトにした。

サラダは前日の野菜の残りだし、味噌汁の具はほうれん草だけである。

平日の仕事上がりで手の込んだものは作れない。

これなら全部合わせて30分少しで作れる。

まぁそれでも、見た目の「作った感」はある。

 

妻は少々その出来事がショックだったようだ。

それまでは私の出張中など一人で食事をするときは、弁当や外食で済ませていたのが、自分で作るようになった。

良いことである。

それならばと、私は日曜日の夕食も妻に作ってもらうことにした。

我が家では、平日は早く帰った方が料理をすることになっている。

ただし通勤時間を加味しても私の方が早く帰ることがほとんどで、二人で家で食事をするときは大抵私が作ることになる。

休日は特に取り決めていないのだが、これまでは私がほとんど作ってきた。

こちらは妻へのサービスのつもりだった。

だが、料理は作らなければ上達しない。

だったら時間のある休日に練習してもらった方がいいだろうと思っての提案である。

 

言っておくが、妻の料理は美味しくないわけではない。

むしろ私の料理より美味しい。

問題は段取りなのである。

妻は料理をするときに、常に料理本やスマホクックパッドあたりを見ながら作る。

書かれている材料を、書かれている分量だけ使い、書かれている手順で作らなければ気が済まない。

だから作るのに時間がかかるし、そもそも買い物をするのに時間がかかる。

「これがなければ、これで代用できる」ということができない。

書いてある材料を探すために、スーパーをはしごしたりする。

ざっと目分量でしか料理を作らない私からすれば言いたいことは山ほどあるが、好きなようにしてもらっている。

そのうち慣れるだろう。

何ヶ月、何年かかったっていい。

時間がないときは私が作る。

 

子供ができたとき、物心がつくくらいに、私と妻の料理をする回数が半々くらいになっていたらいいなと思う。

子供にとって、お母さんの料理とお父さんの料理があることは、その子のその後の人生における「料理」というものの位置付けが変わるのではないだろうか。

料理は男女の別なく当たり前に作るもの、気張って作るものではなく生活の一部だと、思ってもらえたらいいなと妄想する。

そのときは、「お父さんの料理の方が美味しい」と思ってもらえるように頑張りたい。

もう少し本気を出すから。

そこは譲るつもりがない。