異呆人

毒にも薬にもならない呟き

不自由に身を投げる

先日、父の日に義父と食事に出掛けた。

結婚祝いをいただいた妻の実家のご近所さんなどに内祝いを配り歩き、そのあと私たちが今住んでいる地域に移動して、美味しいと評判のレストランに行くことにした。

義父が以前、職場の飲み会でそのレストランを使ったことがあり、「すごく良かった」と話していた。

「じゃあ今度一緒に行きましょう」と話していたのを、父の日を機に実現した次第である。

私たちの住んでいる街で食事するので、その場で解散することにしたのだが、義父は「(妻の実家に)泊まっていかないの?」と、少し寂しそうにしていた。

無理もない。

長女である妻と義父は二人で暮らしていて、妹さんはすでに一人暮らしをしていた。

妻が結婚して、義父は今、一人暮らしである。

だからこそ私はできる限り家を妻の実家に近くし、往復3時間ほどかけて通勤している。

義父は「独居老人だ」と自虐的に笑っているが、これはそのうち笑えないネタになるだろうなと思う。

 

妻は実家で二世帯で住みたいと思っているようである。

今の金利なら賃貸で家賃を払うより、家を買ってローンを組んだ方がお得だと思う。

そんな話をすると、「いずれ実家に住みたいから」と言う。

最初は「老後は」という雰囲気だったのが、「できれば早いうちに」みたいな雰囲気に変わってきた。

老後に実家に戻るのであれば、今から買う家はそのときに売ればいい。

二足三文にしかならないだろうが、今からならギリギリ定年までのローンで何とかなるので、家賃を払っているのと大差ない。

まぁ義父の寂しそうな様子を見れば、できれば同居したいという気持ちはわからなくもない。

 

私は義父と同居することが嫌なわけではない。

セックスしづらくなるので、子供をもう作るつもりがなくなるまでは待ってほしいと思うが、どうしてもと言うならすぐに同居しても構わない。

何が問題かと言うと、通勤時間である。

妻の実家は今住んでいるところよりさらに職場から遠いので、物理的に通勤が不可能である。

同居すれば生活コストは下がるので、収入低下を前提に転職しても構わないが、長い目で見たときにその判断が吉と出るかは自信がない。

できれば今の仕事を中途半端な形で投げ出したくないというのが本音ではある。

まぁ、運良くワリが良くてやり甲斐のある仕事が見つかるかもしれないので、そこは本気で探してみないと何とも言えないところだが。

 

そんなことを周りの人に話したりすると、「同居とか考えられない」と言う人が圧倒的に多い。

よほど嫌な義理の家族ならともかく、言うほどのことでもないだろうと、私なんぞは思ってしまう。

私は自分の実家で家族と暮らしていても、生活ペースや価値観が合わなくてストレスを感じるのだ。

それと同じだと考えれば、暮らしていけないことはないだろう。

そもそも、自由でありたいとか、自分の生活ペースを守りたいと思うなら、私は結婚していない。

ある意味、私は結婚すると決めた時点で、不自由を承知したというか、自ら望んだと言える。

 

「人間は自由の刑に処されている」と言ったのはサルトルだが、確かに「自由」というものは、言うほど楽なものではない。

自由には必ず責任がついて回るし、選択を常に求められ続ける。

考えるという作業は、楽しいものではあるが、同時に面倒なものでもある。

「明日はどうやって過ごそう」が非常に楽しく聞こえることもあれば、「明日はどうやって過ごそう」が非常に憂鬱に聞こえることもある。

それを何年、何十年と考え続ける自由は、ある程度決められた道があり、そこを歩むことを宿命づけられることより、遥かにしんどいことではないだろうか。

いろんな制約がある人生、例えば土地を離れられなかったり、職業が決まっていたり、結婚相手が決まっていたり、という人生は、確かに不自由なもので楽しみが少ないかもしれないが、そういうものだと割り切って生きられるなら、意外と幸せを感じられる人生かもしれない。

 

結婚するということは、不自由になるということでもある。

お金は自由に使えなくなるし、好きなときに好きなところへ行くのも躊躇われるし、仕事をいきなり辞めたりするのも難しいし、人間関係は煩雑なものになる。

私はもう好きなだけ好きなように生きたので、あとは不自由でいいかなと思うのである。

できないことは増えるが、できない理由が明確にある。

「妻がいるから」とか、「子どもがいるから」とか、そういう言い訳が増える。

そういう言い方をするとマイナスに聞こえるようであれば、「妻子を第一に考えた生き方ができる」と言い換えればいい。

人生の優先順位が明確になることで、選択することに迷いがなくなる。

不自由になる代わりに、考える手間が省ける。

そういう人生を望んだのだ。

 

だからもし、妻から義父との同居を求められれば、私は可能な限り応えるだろう。

多少自分に不都合なことがあれど、「妻のため、義父のため」と受け容れられる。

自由にはもう飽きた。

やはり自由が恋しいと思うときもあるが、さほどやりたいことのない、あとは上がり待ちの人生スゴロクである。

ならば私が存在することで喜ぶ人のために、残りの人生を費消するのも悪くないだろう。

まぁ、不自由になって失うものばかりではない。

何が得られるかは、カッコつけるために言わせないでほしい。