異呆人

毒にも薬にもならない呟き

0を1にする仕事、1を4にする仕事、4を10にする仕事

以前、表題のようなことを言われたことがある。

それは前の仕事を辞めるときに、先輩から言われたことだった。

その先輩はすごく仕事のできる人で、成績優秀で表彰されたり、そのノウハウを皆に伝えるよう研修講師をさせられたりするような人だった。

ユーモアがあり、話術に長けている。

穏やかだが合理的で、自分の利益にならないことはしないような、利己的でクールなところもある。

好きとか嫌いとかはなかったが、自分なりのポリシーを持っていて尊敬できる人ではあった。

特に仲が良かったわけではない。

しかし気にはしてもらっていたようで、仕事に同行させてもらったり、知識や技術を色々教えてくれたりした。

 

前の仕事は完全成果報酬のフルコミッションに近かったので、私は最終的に自分が飯を食える水準に至らないなと判断して辞めることにした。

査定もあるのだが、査定をするまでもなく自分で判断できるし、たとえ査定を通ったとしてもそこから先に明るい未来はないなと思った。

やれるだけのことはやったし、これでダメなら自分の能力不足だなと納得できる状態ではあった。

だからやり切った脱力感のようなものはあったが、落ち込んでいるとか、そういう悲壮な感じはなかったと自分では思っている。

ただその先輩は、私を励ますようなつもりでその言葉をかけてくれたようではあった。

 

曰く、「仕事には0を1にする仕事と、1を4にする仕事と、4を10にする仕事」があるそうだ。

「0を1にする仕事」とは、何もない更地を耕すような仕事である。

起業するとか、新規開拓するとか、ノウハウを考えてアイデアを形にしていくような仕事である。

「1を4にする仕事」とは、とりあえず形になったものを、より大きくしたり、綺麗に形を整えたりする仕事である。

スタートアップの段階から少しずつ巡航速度に乗った仕事を、より拡大させていく仕事である。

「4を10にする仕事」とは、出来上がって基盤のしっかりした仕事をより完成形に近づける仕事である。

細部を整えたり、オプションを追加したりして、100点満点を目指す仕事である。

 

これはどれが上等だとかそういうものではなく、仕事の各段階においてそれぞれ必要な仕事で、人によって得意不得意があるとのことだった。

そしてこの中でも「0を1にする仕事」は、得意な人が少ないらしい。

そして私には、その「0を1にする仕事」をする能力があるらしかった。

「0を1にする仕事」はどんな職場においても需要がある。

「だからこの職場ではたまたま上手くいかなかったかもしれないが、君はどこでもやっていけるから自信を持て」というようなことを言われた。

他の先輩からも「能力はあるし、やり方も間違っていない。たまたま上手くいかなかっただけよ」と言われていた。

慰めにしても、評価してもらえているならありがたい話だとは思った。

 

確かに私は、「0を1にする仕事」もできる。

前の職場ではオリジナルなマーケティングで、新しい領域を開拓しようとしていた。

挙績からすれば上手くいかなかったのだが、面白いとは思われていたようである。

ただまぁなにぶん息の長い時間のかかるやり方だったので、フルコミのような雇用条件でやることではなかった。

しかしあえて言うなら、私は「0を1にする仕事」ができるし、「4を10にする仕事」は比較的苦手だと思うのだが、本当に得意なものは「1を4にする仕事」だと思う。

ある程度形になっているものを、より良くしたり、勢いをつけたりすることの方が得意である。

条件や制約があった方がいい。

「無制限に何をやってもいい」という状態より、「与えられた枠の中で最大限のことをする」という状態の方が力を有効に発揮できる。

そういう意味では、今の仕事はもう5年になって今まで勤めてきた会社の中で一番長くなってしまっているのだが、自分に求められている仕事と自分の能力が比較的合致しているのかなという気はする。

ずっといるかどうかはわからないが、きちんと1が4になるくらいまでは見守ろうと思っている。

乗りかかった船、旅は道連れ世は情けである。