異呆人

毒にも薬にもならない呟き

体系的自分自身

今の私は、昔の私が作った私である。

これは単に過去の延長線上に自分があるという意味ではなく、「こういう人間になりたい」と意図して作られた人格だということである。

その際に、そのときの自分が必要だと判断したエッセンスだけを抽出し、不要なものは削ぎ落とし、破壊して作られているので、考え方というか人格が偏っている。

そのあたりの経緯はこんな感じである。

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自分で作ったものなので、できるだけ理論的に整合性が取れるように仕上げているつもりである。

だから私の偏った思想というのは、偏ってはいるが体系的に整理されている。

 

ちょうど自分を再構築していたこの頃、同時並行的に考えていたのが「生きる意味」についてだった。

とにかく強い人間になりたかったのだが、そうまでして強くなって、あるいは苦難に耐えたりしながら、それでも生きていく意味とはなんだろうと考えた。

そうして中学の勉強などそっちのけで、哲学の本などを読み漁り始めた。

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生きる意味について考えることは、ライフワークのように大学を卒業するくらいまでは続けていた。

そして自分なりの答えを得ている。

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この価値観のベースは今も変わっていない。

そしてこの価値観をベースにして、死生観とか幸福観が形成されている。

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あるいは人間関係についての考え方とか。

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あるいは世界観とか。

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あるいは恋愛観とか。

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私という人間は、こんな価値観の集合体として生きている。

一つ一つが別々の考え方ではなく、一つの価値観を下敷きに派生するようにできている。

これは私の世界の解釈の仕方であって、これが正しいというわけではない。

私は「自分はこう考える」と主張することはあっても、それが正しいと言い張るつもりはない。

むしろ、今の自分の価値観よりもっと良いものが世界のどこかにあって、いつか覆されることを希望している。

ただまぁとりあえずこういう風に出来上がり、それで生きている人生に不満はない。

 

いくつかピックアップして私という人間を体系的にまとめようとしたのは、駄文を書き連ねているうちに記事数が400を超えてしまい、過去の記事まで遡るのが大変だなぁと思ったからである。

とりあえず、「ここを読んでもらえば、こんな訳のわからないことばかり書いている人間がどんな変人なのか少しはわかる」という状態にしておいた方が、読んでくれる人に親切かもしれないとも思うし。

需要があるかどうかわからないが。