異呆人

毒にも薬にもならない呟き

ペシミスト

私は悲観的な人間である。

物事を悪い方に捉える傾向がある。

これはある意味、防衛反応みたいなもので、「考えていたより悪かった」ということによる精神的なショックを抑えるための思考方法だと思われる。

「思われる」というのは、意識してそうしているからでないためである。

自然とそういう風に思考してしまう。

口では「大丈夫」、「何とかなる」と言うこともあるが、それは概ね誰かを励ますときの決まり文句のようなものであって、本心からそう思っているわけではない。

大体が心の中で最悪のパターンを想定している。

 

最悪のパターンを想定することには、いくつか良い効果がある。

一つは前述の通り、もし最悪の状態になったときに、精神的なダメージを小さくすることができるということである。

柔道における受身と同じである。

それから一つは、同じく最悪の状態になったときに、冷静に行動できることである。

落ち着いて事態を受け止められれば、次善の一手を素早く打つことができる。

これは精神的なダメージを抑えることだけでなく、実際の被害を抑えることにつながる。

そして最後は、精神的な備えを万全にしてあることが、平時の安心感につながるということである。

「何が起きても想定内」と思えることが、普段の立ち居振る舞いをより落ち着かせる。

落ち着いていればミスが減る。

ミスをしてもリカバリーが早い。

 

syuten0416.hatenablog.com

去年こんな記事を書いていたが、いわばこういったスタンスで行動しているということと、元来の慎重な性格が相まって悲観的な人間に形成されているのだと思う。

よく仕事をしていると、指摘される。

お前の予測は悲観的過ぎると。

しかし仕事においても、最悪の事態を想定していればそれ以上に悪くなることはないわけで、つまりこれ以上悪くならないというくらい悪い状態から、何をどれだけ積み増せるかを考えればよくなる。

「攻撃は最大の防御」と言ったりするが、私の基本的な発想は真逆で、「完全なる防御が最高の攻撃機会を生む」と思っている。

サッカーで言えば、カウンターサッカーか。

面白くはないが、面白さより大事なものは世の中にたくさんある。

少なくとも、たくさんある大事なものの中で「面白さ」を選べるほど、私の人生に余裕はない。

 

「面白さ」と言えば、昔はよく「お前は何が面白くて生きてるの?」と聞かれることが結構あった。

交際相手を欲しがらなかったし、飲み歩くわけでもなかったし、何か打ち込んでいる趣味があるわけでもなかった。

もちろん、仕事が大好きというわけでもない。

たまにランニングする程度だが、私自身がそんなにランニングは楽しいものだと思っていないし、いわんや一般の走らない人をしてをや、である。

しかし私に言わせれば、人生そのものが「面白い」から生きているわけでも何でもないのである。

たまたま生まれて、息が続いているから生きているのだ。

生きることに意味や意義を見出すのは個人の自由だが、生きることというのはもっとシンプルなことだと、私は思っている。

水が高いところから低いところに流れるのと同じ。

生きているから、生き続けようとするのである。

 

そう考えると、物事の捉え方というより、人生観そのものが悲観的なのかもしれない。

どうりで人生楽しくないわけである。