異呆人

毒にも薬にもならない呟き

やめられないもの

今週のお題「私の沼」

 

私は飽き性である。

基本的に長く続けることが苦手だ。

趣味嗜好というか、物事に対する興味ということで言えば、熱し易く冷め易い。

いや、もしかしたら、全然熱されないから続かないのかもしれないが。

人生で一番長く続けていることはランニングである。

これはある意味、興味とか関心とは無関係だし、面白いからやっているわけでもないので、だからこそ長く続いていると言えるかもしれない。

物事に対する理解や習得が早く、一定レベルに到達するまでがものすごく早いのが私の能力の特徴である。

そして、その適用範囲が異様に広い。

だからある程度までレベルアップすれば、満足して他のことに興味が移ってしまう。

そして次の何かに取り組んでは、またある程度までやってやめるということを繰り返す。

極めるということはすごいことだと尊敬するのだが、非効率的だと思ってしまうのである。

到達度50%の物事を80%まで引き上げることに必要なコストと、80%を90%まで引き上げることに必要なコストでは、後者の方がコストが大きいと思っている。

ならば他のいろんな物事に手を出した方が、効率的に人間としての総合力を高めることができると思っている。

 

さておき、そんな私がやめられないことが一つだけある。

それはゲームをすることだ。

人に言わせれば、ものすごく稚拙かもしれない。

無益でもある。

しかし私はゲームが好きだ。

理屈ではなく、ただやっていて楽しい。

常時スマホには2〜3のゲームアプリがインストールされている。

飽きてやめるものもあるので決して長く続けているとは言えないが、ゲーム自体をやめたことはない。

どちらかと言えば、ゲームとか興味なさそうなタイプだと思われることが多いのだが、ライトゲーマーにはあたると思う。

 

ゲームと一口に言っても様々なものがある。

例えばTVゲームについて言えば、私が初めてプレイしたのは確か幼稚園の頃である。

なぜか家にツインファミコンがあった。

ツインファミコンなんて、今では存在そのものが幻のようなものである。

カセットタイプのソフトとフロッピータイプのソフトの両方ができるゲーム機だった。

父親が買ってきたのだろうが、なぜ買ったのかはわからない。

幼い私は欲しがったりしなかったし、そもそもまだ上手にプレイできなかった。

確か、マリオとゴルフのゲームがあった。

やってはすぐにゲームオーバーになったのを覚えている。

ゴルフについては、何ホール目かのコース前半にある池が越えられなくて、まったく前に進まなかった。

 

その後、小学生に上がって、スーパーファミコンを買ってもらったり、ゲームボーイを買ってもらったりした。

スーファミでは、初代マリオカートと初代パワフルプロ野球に熱中した。

初代パワプロとか、今流行りの育成システムもなければ、好きにチームを編成するアレンジシステムもなかった。

よくそれで、あれだけ繰り返し遊べたものだと思う。

ゲームボーイといえば、大流行したポケモンである。

「緑」をひたすら繰り返しプレイした。

単3電池4本が必要な初代ゲームボーイは非常にコストパフォーマンスが悪く、小遣いなどほとんどなかった時分には、あれこれ考えて必死に電池を保たせようとした。

「電池は温めたら少し回復する」という、よくわからない都市伝説を信じ、ファンヒーターの前で電池カバーを外してプレイしたりもした。

今考えれば、危険極まりない行為だが、それだけ熱中していたということである。

 

ちなみに私には年の離れたまだティーンエイジャーの弟がいるのだが、「ポケモンGO」が話題になったときに、弟に「昔、ゲームボーイでよく遊んだなぁ」と漏らしたら、「ゲームボーイって、何?」と言われた。

「単3電池が4本必要で、こんな大きさで、画面が白黒で…」と説明したら、「白黒のゲームとかあるん?」と言われた。

そんな弟もゲーム大好きで、最近はPS4をネット接続して、よくわからない通話機能でその場にいない友達と会話しながら一緒にゲームをしている。

文字通り、隔世の感がある。

「本体にコントローラーを4つ繋げば4人プレイまで可能」とか、もはや胸踊ることでも何でもないのだろう。

 

まぁゲームなんて、所詮、非生産的で何の意味もないことではある。

しかし突き詰めて考えていけば、生きていること自体が意味のないことである。

ある意味では、ゲームというのはヴァーチャルリアリティであるので、もう一つの世界を生きる行為とも言える。

違うのは、リセットボタンを押してやり直せるかそうでないか。

ならこんな辛くて苦しい世界に無理やり楽しみを見出そうとしなくても、やり直しのできる仮想世界に興じるのも一つだと思う。

そうは言っても、ヴァーチャルもリアルも体感できる身体は一つであり、その身体を生かすためには現実で四苦八苦しないといけないのだが。

 そんな世知辛さがあるから、余計にゲームをやめられないのかもしれない。