異呆人

毒にも薬にもならない呟き

好きな言葉

私の行動基準や行動規範というのはとても複雑で、座右の銘などと言われても相応しいものがパッと出てこない。

複雑なものを丸まま飲み込んだものが自分であり、自己矛盾を許容することを是としている。

ただ、好きな言葉というのはある。

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」である。

レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説に出てくるフィリップ・マーロウの台詞で、わりと有名なので聞いたことがある人は多いと思う。

ちなみに上に書いた和訳は、言葉だけが一人歩きする中で作られたものであり、小説上の和訳では「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」(生島治郎訳)となっている。

原文は「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」である。

言葉の含む意味というのは言語により異なるので、英語が含む真意を完全に和訳することは難しい。

「hard」という単語をどう訳すかでこの言葉の持つ雰囲気は変わるのだが、私は先に挙げた「強くなければ〜」が一番日本語的で好きである。

 

私は基本的に世の中というのは弱肉強食だと思っている。

syuten0416.hatenablog.com

強くなければ生きていけない。

人間社会というのはルールによって社会的弱者も守られるようになっているが、ルールによって弱者を保護するという機能自体が、人間という種が持つ強さの一つだと言えると思う。

ともかくも、世の中というのは甘いものではない。

人が二人いれば優劣がつく。

その基準が様々あり、単純にどちらが強いか弱いか決められないだけで、実際には特定の局面において、あるいは総合的に強い者と弱い者に分かれてしまう。

私は勧善懲悪の物語が好きだが、世の中はそうでないのである。

皆が皆一面の正義を持っており、正義と正義をぶつけ合って、勝った方が正義を名乗ることを許されるようなものである。

正義が勝つのはフィクションの中だけのお話。

実際の世の中は、倫理に反する悪党の方が好き勝手に生きていたりもする。

 

では、もし自分が圧倒的な権力やら金銭やら腕力やらの力を持っていたとしたら、好き勝手好き放題生きたいだろうか。

きっと私はそうしないと思う。

これは善とか悪とか、倫理や道徳的にどうだとか、そんなこととは無関係である。

ただ私がそうしたくないだけだ。

だって気分が良くない。

どうせなら、余った力で誰かのために何かしたい。

それは誰かに認められたいとか、褒められたいとか、そういうことが理由ではない。

そうすることが最も効率的で合理的な「力」の使い方だと思うからである。

ある程度まで足るを知っていれば、余剰な「力」というのは食品の廃棄ロスと同じように無駄なものである。

それを有効活用してもらうことで感じられる効力感というのが、私にとっては大切なのである。

 

だからこの言葉に私が見る「優しさ」というのは、一般的な感覚と少し違うかもしれない。

syuten0416.hatenablog.com

ちょうどこの記事の感じだと思ってもらえばいいだろうか。

作り過ぎた料理を隣の家におすそ分けに持って行くような、自分の仕事が早く終わったから隣の席の同僚に「何か手伝うことはないですか?」と声をかけるような、そういう「優しさ」である。

もちろん自分が与えるばかりでなく、受け取ることも多い。

そうやって気軽に余剰なエネルギーをシェアし合えるような人間でありたいなと思う。

 

家庭内の話をすると、私が妻にとても尽くしているように受け取られる。

それは間違いではないのだが、単に私の余剰なエネルギーを妻とシェアしているだけにすぎない。

つまり私は、自分が「こうありたい」と考える人間として振舞っているだけなのである。

もしかしたら、いつか私が誰かに一方的に力を分けてもらうだけの存在になるかもしれない。

だから自分の意識がはっきりしているうちに、できるだけ「自分が願う自分」で居続けたいと思うのである。

 

ちなみに、某空手家の名言「正義なき力は、無能なり。力なき正義は、無能なり」とかも好きである。