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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

労力は明確にコストである

疲れていると感じる。

最近はさほどハードワークしているわけではないが、休みの日にきちんと休んでいる感覚がない。

結婚式の準備をしたり、マラソン大会に出たり、妻に付き合って出かけたり、何かしらガチャガチャと動き回っている。

半分くらいはやらなければならないことだが、半分くらいはやりたくてやっていることなので、精神面でのストレスはそれほど感じない。

だからこそ、疲労が意識されずに、知らず知らずのうちに蓄積されてきているのかもしれない。

先日は少し意識が朦朧として目眩がしたので、妻に断って先に床についた。

脚の疲労も抜け切っていないのか、筋肉が張っているそのテンションを感じる。

これが酷くなると肉離れに繋がるので、気をつけておいた方がいいだろう。

 

私は疲労に対する耐性が高い。

ある程度までは疲労を感じても、無視して動ける(バーサーカーモードと呼んでいる)。

気合というか、テンションというか、アドレナリンなどの脳内麻薬というか、まぁそんなところだろう。

長いことランニングを続けているせいかもしれない。

追い込まれると力を発揮する(というか、そこで初めて本気を出す)タイプでもある。

疲労が完全に許容域値を超えると、高熱を発してオーバーヒートする。

そんなときは2,3日寝込んで、ようやく復活する。

そこまでの流れは私にとっては既知の出来事なので、ルーティンとして済ませることになる。

 

だから私はこれまで、自分の労力というものを無料として考えてきた。

自分が疲れることなんて大したことではない。

時間と金銭の都合さえ合えば、労力はいくらかかっても平気だった。

例えば、電車だと乗り継ぎの関係で30分かかり、歩いても30分かかる場所なら迷わず歩いた。

時間が余っているなら、余分に時間を費やして1時間くらいなら平気で歩く。

それで金銭が浮くなら、文字通り安いものである。

会社で私が「駅から歩いて行けますよ」と言っても、皆、まずは地図で調べる。

私の「歩ける」は信じてもらえない。

そういうときは私だって気を遣って、一般的な尺度に直して発言していたりするのだが。

 

今でも労力を軽視する傾向は変わらないのだが、20代後半くらいから頭の片隅で計算するようになった。

この労力を自分が費やすのと、金銭を支払ってサービスを利用して解決するのと、どちらがコストパフォーマンスとして優れているだろうかと。

例えば、歩いて30分、電車なら150円で10分、これは高いだろうか安いだろうか。

仮に私の給料が時給換算して1,500円くらいだったら、私の20分には500円くらいの価値があることになる。

20分を150円で買えて、なおかつ疲れないなら、十分コストに見合うパフォーマンスがあるかもしれない。

しかし私がその時間をただゲームでもして潰すつもりで、金銭的に少しでも節約したい状況なら迷わず歩くだろう。

150円あればスーパーでちょっと良いカップ麺が買える。

袋麺なら3食分くらいにはなる。

冗談ではなく、私はいつも頭の中でそんな計算をしている。

 

私はYシャツはすべてクリーニングに出している。

3枚ほど襟袖を手洗いして、アイロンを掛ければ30分くらいはかかるだろうか。

クリーニングに出せば3枚で300円である。

しかも私の手洗いとアイロンの腕前では、クリーニングに匹敵する仕上がりにはならない。

だからサービスを利用する。

 

仕事で利用しているレンタカー会社が、最近NOCまで補償するという保険を始めた。

NOCというのは、事故を起こした際の営業補償である。

車や人に対する損害は保険で補償されるが、車を修理する間の「しばらく使えないことによる損害」は利用者が負担するのが一般的である。

自走可能な事故で20,000円、自走不可能な事故で50,000円が相場だ。

このNOCの費用まで補償する保険が、オプションとして+400円程度で加入できるという。

同僚は加入していると言っていたが、私は加入したことがなかった。

私は月10日ほどレンタカーを使う。

毎回その保険に加入すれば月4,000円程度、年間48,000円程度のコストがかかる。

年に自走可能な事故を2回起こしても割に合わない。

ちなみに私は今の会社に入って5年ほど、無事故である。

そんな話を同僚にしたら、「朱天さんって、いつもそんなこと考えてるんですか?」と言われた。

もちろんである。

 

結婚式のウェルカムスペースで使う飾りなど、細かいものを妻は手作りしている。

衣装などで好き放題に金をかけたので、せめてもそこでコストダウンしようとしているそうである。

コストアップした分とコストダウンしようとしている分の桁が違うので、そもそもそれで取り戻せるわけでも何でもないが、気持ちだけ受け取っておくというつもりで好きにしてもらっている。

しかし見ていると、100均などであれこれ買ってきては半日ほど費やして飾りを作るという行為を繰り返している。

それだけの手間と時間を費やして飾りを作るくらいなら、1,000円でも2,000円でも費やして買ってしまった方が良くはないだろうか。

そう思いながら、作業する妻を眺めている。

まぁでも「できた!」と言って嬉しそうにしているのを見ると、余計な口を挟まない方がいいだろうとも思える。

何も私のように計算してしまうことが良いとは限らない。

妻には妻の価値観がある。

ただし労力がタダではないことは、いつか説いて聞かせようと思う。