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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

憲法改正と抑止力

安倍首相が憲法改正について踏み込んだ発言をしたことが波紋を呼んでいる。

何を今更という感じはする。

安倍さんはずっと憲法改正を主張しているし、国民はそんな安倍さんを概ね支持しているのである。

そして「やろうと思えばできる」くらいのレベルに、地ならしは済んできている。

改正の発議、国民投票まで進むのは時間の問題だろう。

そこでどんな判断をするかは、改めて国民に委ねられるのだから、各人が憲法改正についてどう思うのか、自分なりの考えを持つことは必要だと思う。

難しいことを考える必要はない。

正しさなんて、立場によって変わるエゴイスティックなものである。

「間違っている」、「間違っていない」の前に、「私はこう思う」が大切なのである。

共謀罪の議論の中で「自由にものを言えない社会になる」と危惧している知識人がいるが、その前に「そもそも考えていない人」が圧倒的に多いのだから、心配すべきはそこではなく、易きに流れる社会の空気だろう。

 

日本は紆余曲折を経て、「自衛隊」を持つに至っている。

これは完全に理想と現実のギャップだと言える。

戦力の不保持を掲げながら、自衛のための戦力は止むなしとしたのだ。

さすがに隣家で火の手が上がれば、しのごの言っていられなかったのだろう。

火事なら逃げればいいが、他国が攻め込んできたら逃げる場所はない。

せめて身を守ろうというのは、一般的な発想と言える。

戦力など持たずとも外交的努力で戦争を避ければいいというのも一つの考え方ではあるが、外交的努力というのは「良い人は襲われない」という非常にポジティブな考え方と同じである。

しかし現実には何の罪もない人が理不尽に命を奪われることも多い。

国と国の関係も同じである。

中東やウクライナ情勢、日本であれば拉致問題などを考えれば、力なき正義の虚しさを思わずにいられない。

 

だから私は自衛の戦力は必要だと思っている。

それを憲法や法律上どう位置付けるか、自衛隊のままにするか軍隊とするかは、単に名前だけの問題なのでどうでもいい。

今の自衛隊を追認するために憲法改正が必要か、というところも、もっと議論してもいいかもしれない。

違憲の疑いがあったっていいではないか。

現に自衛隊は立派に仕事をしているし、違憲を指摘されている実態のあるものは、選挙区の問題など他にもいろいろある。

形の問題ではなく、現実としてどんな問題が発生しているかを、もっと議論した方がいい。

 

そして自衛の戦力を保持した上で、いかに戦争をしないように縛りをかけるかを考える必要がある。

先制攻撃は厳禁だし、そもそも交戦権を認めるかどうかも考えた方がいい。

一時期、集団的自衛権が話題になったが、集団的自衛権を認めるかどうかの議論と併せて、いかに集団的自衛権を行使しないで済ませるかを考える必要があるのと同じである。

この戦闘行為をしないための努力が、安倍さんなどの自民党政権でどこまできっちりできるかが不安なところである。

少なくとも、戦闘行為やそれに準ずるような状態にある場所に、PKO自衛隊を派遣しているようでは先が思い遣られる。

 

自衛隊の位置付けに限らず、他に憲法を改正した方が良いと思われるところはいくつもある。

安倍さんに9条を触らせるのは不安だが、それ以外ならお試しだろうがレガシー狙いだろうが、真面目に議論してもいいのではないだろうか。

少なくとも、思考停止して単に拒否反応を示すよりは良い。

きっかけがないと、どうせ考えないんだし。

他人任せの無責任は、いずれ自分の首を絞めることになる。