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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

笑わない理由

結婚式の写真の前撮りなるものを行なった。

妻のたっての希望である。

衣装だなんだと、あれこれ付けたら、10万円を超える金額になった。

やってもらう内容からすれば、そこまで法外な費用ではないと思うが、たかだか写真にそこまで支払うのは個人的にはナンセンスだと思う。

まぁそれで妻の気が済むなら好きなようにしたらいい。

家計への影響は後で身をもって知るだろうから、そこから節制を心掛けてくれればいい。

しかし、それにしても高い。

 

せっかく高い金を払って写真を撮るのだから、思い残すことのないように妻の要望はできるだけ飲んだ。

私からすれば恥ずかしさと滑稽さで噴飯もののポーズなどにも、すべて応じた。

自分が今どんな表情をしているかは、被写体である私にはわからない。

ただひたすら「もっと満面の笑みで」と要望され続けた。

面白くも嬉しくもないのに笑う、それも微笑ではなく満面の笑みとなると、なかなか難しい。

この苦痛にも近い状況に苦笑しか漏れてこない。

その苦笑をできるだけ拡張して、精一杯笑ってみせた。

自然に満面の笑みを浮かべられる妻とは雲泥の差である。

 

そもそも私は普段から、満面の笑みなどほとんど浮かべることはない。

写真なども微笑というか、すましたような笑みを浮かべている。

別に気取っているわけではなく、それが私の笑い方なのである。

妻はそれが不満なようで、付き合っているときの写真を眺めては、「笑顔が少ない」などとボヤいていたりする。

そんなことを言われても困る。

30年以上生きて染み付いた笑い方など、そうそう直せるものではない。

 

そんな笑い方になった理由の一つは、私が歯列矯正をしていたことにある。

今では一般的になってきたが、私が始めた頃はまだ知れ渡り始めたくらいで、少なくとも周りには矯正している人など一人もいなかった。

子供心に、笑ったときに矯正の装置が見えるのが嫌だった。

長じれば恥じるようなことではないとわかるのだが、ついた癖は抜けないものである。

だから今でも歯を見せるような笑い方をすることは少ない。

 

また一つの理由としては、完全なる冷静さを手に入れるべく、笑わない訓練をしていたことが挙げられる。

感情の表出を抑えることで、実際に感情の振れ幅そのものを小さくしようという試みである。

かなり滑稽な話ではあるのだが、これが概ね成功してしまった。

今の私は喜びや怒りや悲しみや驚きを、一般的な水準よりかなり控えめにしか感じない。

サプライズなどで驚かせ甲斐がないと言われる。

いかなるときも冷静で落ち着いているので、頼りにされることもある。

後天的なものではあるが、その性質はすでに自分のアイデンティティの一部になってしまっている。

つまり、私は私であるがゆえに笑顔が少ない。

笑顔が少ないのが朱天である、とも言える。

 

そんな御託を頭の中で並べながら、数時間に渡る撮影に耐え抜いた。

妻は楽しそうだったが、私はただ疲れただけである。

撮ったばかりの写真をデータで見せてもらうと、思いの外、うまく笑えていた。

あれだけ苦労して口角を上げ、表情筋を痙攣させていたのに、一瞬の画として切り取ってしまうと、そんなものは微塵も感じられない。

楽しそうに見える。

この写真を他人が見たら、「嫌がってたわりに、ノリノリで写真を撮られている」と思われるのだろうか。

なんとも複雑な気分である。

できれば黒歴史として、妻の手元だけで保管しておいてほしい。

笑えない話になってしまう。