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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

ドラえもんに命はあるか

最近TVで、ハリウッドから逆輸入される実写化映画、「ゴースト・イン・ザ・シェル」のCMが流れているのをよく見る。

私は、攻殻機動隊は漫画もアニメも見たことがなく、名前を知っているだけである。

押井監督のアニメは評判も良く、画も綺麗で面白そうなので見てみたいとはずっと思っているのだが、ついぞその機会はなく今にいたっている。

今の私生活の現状を鑑みれば、当分その機会は得られそうにない。

とりあえずそのCMを見てわかったことは、主人公が脳以外はサイボーグらしいということである。

今ではそう珍しい設定ではないが、原作が作られた頃は斬新だったかもしれない。

 

それを見ていてふと思ったのだが、「脳以外はサイボーグ」という状態は、果たして生きていると言えるのだろうか。

生命維持を自立的に行う機能は失われている。

人間のパーツのどの部分が機能していれば「生きている」と言えるのか。

脳か、心臓か。

少なくとも一般的には、心臓だとは思われていないようである。

心臓が機能不全であれば生きていないというなら、ペースメーカーを付けて生きている人は「生きていない」という扱いになってしまうからである。

どれかといえば、脳を人間の生命活動の根幹と考える傾向にあるように思う。

脳死」というのは、そういう発想に基づいているのだろう。

脳が機能していなければ、死んだも同然という扱いである。

 

では、AIは「生きている」と言えるだろうか。

言い方を変えれば、AIが人間と同等かそれ以上の知的活動能力を得たとき、私たちはそれを命なきものとして扱えるだろうか。

ドラえもんは「生きている」と言えるか。

ターミネーターはどうか。

そんな問いを抱える日が、遠からず来ると思う。

例えば、ドラえもんが再起不能なまでに壊れてしまったとき、それをスマホや洗濯機が壊れたのと同様に扱えるだろうか。

「仕方ないね、物だから」と割り切れるだろうか。

意外と難しいのではないかと思う。

 

人間と簡単な会話ができ、こちらの体調を見て気遣う言葉をかけてくれ、身の回りの世話をしてくれる。

そんなAIを搭載したロボットが一家に1台あるのが当たり前になるかもしれない。

例えば、見ず知らずの誰かにそれを破壊されたとしても、殺人罪には問えない。

器物損壊で罰金や弁償が関の山だろう。

(まぁ、これは現状ではペットでも同じだが)

慰謝料だって、10〜20万円程度が相場である。

ドラえもんを圧延ローラーでペシャンコにしても、大した罪にはならない。

しかし、もしそんなことがあれば、のび太くんは心に深い傷を負うに違いない。

もしかしたら仇討ちすら考えるかもしれない。

仇討ちなどしようものなら、のび太くんが殺人罪で服役することになってしまう。

 

そう考えると、命があるとかないとかは、人間が勝手に考え出した実はとても些細な違いなのかもしれない。

あるいはAIやロボットというのが、猿が人間になったように、人間の先にある革新的な存在なのかもしれない。

人間以上の身体能力と知能を持ち、パーツが壊れたら取り替えればいいだけのロボットは、あらゆる点で人間を凌駕している。

人間に取って代わっても不思議ではないというか、むしろ人間に取って代わるべきだとも言える。

遠い将来、そんなAIが地球に跋扈する世界になれば、むしろ命ある存在などそれだけで天然記念物のようなものになるかもしれない。

そのときはきっと、人間が「絶滅危惧種」として動物園で飼育されていることだろう。